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2014年4月3日木曜日

脱腸の治療(1)

 明くる日、早速医者に連れて行かれた。 どの様な医者に行ったのかは私にはわからないが、そこでの治療は比較的記憶に残っている。 診察や治療は、それまでに経験したことがないものだった。

 昨日の状態は、また発生していた。 私の場合、おちんちんの右横の部分に内臓の腸の一部が迫り出している感じになっており、自分でも判った。 ただ母親の発見が早かったことが幸いし、手術ではなく治療が可能だと判った。 多分親はその診断でほっとしたと思う。

 診察室で下半身裸になり、医師の診察を受けた。 脱腸を発症している部分の触診で概ねの判断があったのだろう。 早速の治療となり、診察台に寝かされた。 今になって思えば、産婦人科の診察台の様に、両足が固定され恥ずかしい部分を丸出しになった。 母親に浣腸されるのとは違い、気持ちの上では凄く恥ずかしく不安な状態だった。

 暫らくして診察と治療が始まった。 脱腸部分は丁寧に押し戻され、正常な状態になった。 それからは、以前に医者で排便治療された時とはじめのうちは似ていた。 お尻の穴に器具が挿入され、その内浣腸され、診察台に寝たまま排便した。 お尻の穴に冷たいものが塗られた。 そしてお尻にタンクから伸びた管が挿入され、「我慢するのよ」と看護婦さんに言われながら治療を受けた。 高圧浣腸、即ち「イルリガードル」による浣腸だった。 日頃の浣腸と比べ物にならない量の薬液がお尻の穴から注入され、非常に苦しくなった。 管が抜かれると一挙にそのまま排泄した。 2度ほどの高圧浣腸の後、お尻の穴に薬品が塗られた。 そしてお尻の穴からおちんちんなどが消毒液で洗浄され、おちんちんは出した形でサポーターの様な形で固定された。 その姿は、おちんちんを隠さないTバッグのパンツを履いた状態で、オシッコは出来るが、ウンチは出来ない状態になった。

 その日の治療は、それで終了し、母に連れられ自宅に戻った。 激しい運動、特に下半身に力をいれることは禁止されていたので、自宅で大人しくしていた。 次の日、また連れられて別のところへ行った。 医者ではなかったが、下半身裸にされ、腰の部分や股間の部分のサイズが測られた。 下着のパンツを特注する様な感じだった。

 後で判ったが、寸法を測った作成されたものは、「脱腸帯」と言われる、貞操帯の様な器具(補助具)であった。


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