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2014年4月27日日曜日

脱腸の話し

 バイブと浣腸で強制的に逝かされた彼女は、性的欲望が失せていた。

 浣腸の話しをしていると、私の脱腸とその治療を聞きたいと言い出した。 彼女は「脱腸」という言葉は聞いたことはあるらしいが、どの様な症状なのかを全く知らなかった。
 私の脱腸の発症については、小児便秘のことから話さなければならなかった。 何時からなのかは知らないが物心ついた頃には、よく浣腸されていた。 ウンチが固く強く気張らないと出ないことが多かった。 それが原因かどうかは判らないが、幼稚園年長の時に、おちんちんの右側の異常な膨らみが発覚し、診察の結果、「脱腸(ソケイヘルニア)」と診断され、早速治療が始まった。 その治療は、手術もあるが小児であるため矯正することで身体の成長と共に治癒するとの判断だった。 その矯正方法が上図の脱腸帯である。 現在は改良され下図の様な脱腸帯が市販されているが、当時は体形に合わせ特注だった。

 原因は、腸の一部が骨盤や筋肉の隙間から陰部にはみ出してくることを私の身体で説明した。 また迫り出した腸は丁寧に押し戻すことにより、元に戻るが再発する。 その様なことで、便秘症の私は、ウンチを気張ることを控える様になり、母親から頻繁に浣腸され排便していた。 また、自宅以外での排便は躊躇し、どうしても排便する時は脱腸帯をつけたまま排便した。

 排便を躊躇したり、出そうな時に出さなかったりしたことが便秘症を更に悪化させていた。 また、母親は脱腸が性機能に障害をもたらさないかを気にしていた。(素人判断であるが。。。)

 彼女は、「単なる便秘じゃないんだね。」と感心していた。 「お母さんが心配した性機能は大丈夫みたいだね。」と笑った。

浣腸&バイブ&オムツ

 次の日の夜、彼女は浣腸セックスに執着していた。 しかし、彼女に浣腸してセックスすると逝く時に排泄してしまう可能性があり、結合体位から無理があると思えた。 彼女は今まで浣腸してオナニーをしたことはあるが、トイレに座って我慢しながらオナニーをしていた。 これならどうなろうと排泄の心配はない。

 しかし彼女の好奇心は消えない様子だったので、「試してあげるね。」と言って、バスローブだけの彼女をベッドに寝かせた。 オムツ、ガラス浣腸器、濃い目のグリセリン液、そしてバイブを準備した。 ベッドの彼女は何をされるのかと不安げに見ている。 「どうするの?変なことしたら嫌だよ。ねぇ~。」、「大丈夫だよ。」と用意したものをベッドに運んだ。

 彼女のバスローブを捲くると陰部が丸出しとなった。 お尻の下にオムツを敷き込んだ。 「オムツでするの?」、「・・・・・」彼女のクリトリスと膣を刺激した。 シーツを掴んで感じている。 「そんなことしたら、だめ~!あぁ~!」とよがる彼女の膣にバイブを挿入、「う、う~っ!あ~!だめ~!」と身体を捩る。 両足を上げさせ膝を抱えさせるとバイブを咥えた陰部とお尻の穴が丸見えになった。 バイブを挿入したまま、お尻の穴にローションを塗り、浣腸器を差し込んだ。 「あ、あ~、気持ちいい!」と言う彼女に浣腸液を流し込んだ。 「う、う~、いや~!」と快楽の声を出す。 浣腸器を抜いてオムツを軽く掛け、バイブを出し入れした。 「だめ~、感じる~!あ、あ~っ!」、「う~、イク~!」と激しい反応である。 私を引き寄せるが排泄が心配なのでお尻を彼女に向けると、股間からおちんちんを強く握りしめる。 バイブを激しく出し入れすると、「ぐ~っ、ダメ~、イク~!」、バイブを強く押し当てると、「あ、ぐ~、う~、出る~!」、「だめ~!」とおちんちんを握り締めたまま、痙攣し、オナラと共に浣腸液を出した。 オムツで飛び散らない様に押さえたが、彼女の身体はガクガクと震えた。

 浣腸液が出ただけでウンチが出ていないので、「もう少し気張ってごらん。」と言うとお尻に力を入れ肛門が開いた。 可愛いウンチが2つ転がり出た。 彼女は顔を真っ赤にし、恥ずかしそうにしているのが可愛い。

 彼女の排泄の始末をし、お尻と陰部を蒸しタオルで拭い気持ちよくしてあげた。 落ち着きを取り戻した彼女に、「浣腸してバイブ入れたら気持ち良かった?」、「凄い刺激で逝っちゃったけど、道具よりも貴方のおちんちんの方が良いよ。だから普通に入れて!」と言う。 可愛くなって濃厚なキスをしてしまった。 「アソコとクリが痺れてるよ。」と恥ずかしそうに言う。

2014年4月26日土曜日

私もオムツ排泄

 ホテルの部屋に戻る途中で、オナラをし、浣腸ウンチのお漏らしをしてしまった彼女は恥ずかしくて仕方なかった。 風呂に入りながら、私に対してもお漏らしをさせたくなった様だ。 同時に、子供のころのことを思い出していた。

≪彼女の病気≫
 ある日、子供の頃の彼女は高熱を出して床に臥せった。 母親はオムツが取れていない彼女を心配し、念のためオムツをさせ寝かせつけた。 夜中、母親は様子を診るついでにオムツを確認すると案の定少しお漏らしをしていた。 オムツを交換しようとしたが、ついでに浣腸した方が早く熱が下がると思い立ち、ガラス浣腸器とグリセリン液を準備した。 そして、「○○ちゃん、お熱下がる様にお浣腸しようね。」と寝惚けている彼女に言い、ガラス浣腸器で浣腸した。 そして交換しようとしたオムツをもう一度着けた。 我慢の限界に来た彼女は、布団の中でオムツにウンチを出してしまった。 先ほどのお漏らしでそれを思い出したらしい。

 風呂から出ると、彼女は自分の子供の頃の記憶の再現を私に求めた。 それと、私は先ほどオムツには漏らさずトイレで排泄したが、彼女のオムツの始末を急いでいたのと注入していた浣腸の量が少なかったので、中途半端な状態になっていた。

 彼女は、私が履いていた汚れていないオムツを持って来、左右のテープを外した。 そして私にベッドに寝る様に言った。 バスローブだけの私はベッドに寝さされ、彼女の介護を受けた。 彼女は、私のバスローブを捲くると今広げたオムツを私に着けた。 そして、「お漏らししたかな?」と言いながらおちんちんのあたりに手を入れた。 「お熱が下がる様に浣腸しておこうね。」と言ってガラス浣腸器に50ccの浣腸液を準備した。 そしてオムツを開け両膝を抱える様にさせた私に浣腸した。 浣腸液は濃い目であった。

 両膝を抱えた状態のまま我慢させながら、彼女はおちんちんを刺激した。 大きくなったおちんちんを見て、彼女は膝を抱えた私の上に後ろ向けに跨り彼女の膣におちんちんを挿入した。 両足を左右に開き彼女のお尻を挟んだ私からは彼女の背中が見える状態となった。 彼女の上下運動と浣腸の刺激で今にも射精しそうになった。 「出ちゃうよう~!」というと、「いいよ」と言う。 濃い目の浣腸の限界が来て、彼女におちんちんを挿入したまま、オムツに排泄してしまった。 膣に私のおちんちんを咥えた彼女は私のオムツ排泄を観賞した。 排泄が終わると彼女は上下運動を強め、「あぁ~、イイ、イイ、もっと」と感じる彼女の膣の中でおちんちんは脈打った。

彼女との久しぶりの出張

 久し振りに彼女との出張を計画できた。 前日よりそわそわした時間が過ぎる。 仕事仲間へのカモフラージュもあって、彼女は敢えて他の人が居る所で、「出張の手配どうしますか?」と聞くので、「良かったら手配しておいて。」と彼女に頼んだ。 彼女も期待していたと思うが、退社時、お茶しながら、「ダブル予約したよ。抱き合って寝るんだよ。」と大胆であり、勝手に決めている。 明日を楽しみに、その日はそれぞれ帰宅した。

 朝から、待ち合わせた新幹線に乗り、仕事に向かった。 その日は気も漫ろで、早々に宿泊ホテルに向かった。 一人の出張より豪華なホテルのダブルルームであった。 部屋に入って、二人きりの時間が始まった。 抱き合い唇を重ねた。 互いが舌を絡める濃厚なキスをした。

==お互いに初めての「Tバック」==

 そして彼女はバッグから紙包みをだしてきた。 開けてと言うので紙包みを開くと男性用のパンツが出てきたが形がおかしい。 何と「Tバック」である。 「それ履いて!私も履くから。」ともう一つの包みを出し開けた。 婦人用の「Tバック」パンティである。 お互い下半身裸になり、その「Tバック」の下着に着替え、見せ合った。

 そして、食事をしながら、「履き心地はどう?」と聞く。 「お尻の穴にあたるから、変な感じだよ。」と言うと、「私も。」と同じらしい。 しかし、互いにセクシーな気持ちになるのは事実である。 食事中も、バーラウンに居る時も、何時もと心地が違う。 お酒で少し気持ち良くなった二人は部屋に戻った。

 彼女のスカートに手をいれると、お尻丸出し状態である。 「きゃ~、エッチ!」と言うが、良い勝負である。 開放的になった二人は、冒険心が湧いてきた。 浣腸を入れ、オムツを履いてホテルの1階まで買い物に行くことにした。

==冒険:オムツ外出==

 互いにTバッグを脱ぎオムツを用意した。 イチジク浣腸全部入れると多分我慢できないと思えたので、先ず彼女にイチジク浣腸を半分注入し、オムツを履かせた。 残ったイチジク浣腸を彼女が私に注入し、オムツを履いた。 そして二人で1階のショップに向かった。 彼女は廊下やエレベータでオムツがばれないかと盛んにきにしていた。 ショップで飲み物を買い、エレベータに乗るころには、彼女は限界に来ていた。

 エレベータのドアが開くのが待ち遠しい状態であった。 運良く戻りのエレベータは二人だけであった。 エレベータの中で、彼女は我慢しきれずオナラをしてしまった。 「あっ!出た!」と足を擦り合わせ、必死に堪えている。 小走りに部屋の方に戻った。 部屋の鍵を開けている間に、ブリッ!と彼女のオナラがでた。 慌てて部屋に入り、ドアを締めた。 浣腸には馴れている私は大丈夫だったが、彼女は漏らした様だ。 部屋に入り彼女を抱き締めると、「ダメ~!出ちゃう~!」と言うので、そのまま抱き締めた。 「あぁ~っ!出ちゃう!」と言ったとたん、「ブ、ブ~、ブリ~ッ」と「いやだ~!」と顔を隠した。 「出ちゃったね。」、「いや~、恥ずかしい~!」

 そのまま、オムツだけの状態になり、彼女を風呂場に連れて行き、私は排泄した。 そして、彼女のオムツを下げると浣腸便がついていた。 彼女は泣きそうだった。 まだ出そうだと言うので、そのままオムツに排泄させると、塊を2ツほどと大きなオナラをした。 その全てを私に見られ、「いやだ~、恥ずかしい。」と言う。 オムツに跨った状態の彼女と臭いキスをした。 お尻の廻りが汚れていたのでトイレットペーパーで綺麗にしてやった。

 二人で風呂に入り、「オムツ冒険」のことを話した。 私に摘便された時より恥ずかしかったと言う。 私は漏らさなかったのかと言うので、大丈夫だったと答えた。 先ほどトイレで全部出たかと聞くので、「中途半端だよ。」、「じゃ~、全部出してあげる。」となった。

2014年4月22日火曜日

彼女の「オムツ」お漏らし

 彼女のオムツについてのトラウマ的なところが気になっていた。 ある日、薬局で紙オムツを買い求めた。 左右をテープでとめ、パンツの様になる大人用の紙オムツだ。

 ある日、良いものを見せてあげると食事に誘った。 以前、私のカバンの中のイチジク浣腸に目が留まったときの店である。 「良いものって何?」と言うので、ここでは無理だから、二人きりになったら見せる言うと、早く食事を済ませようと子供の今日に興味津々な感じである。

 でも、その前に楽しいことをしようと、彼女の耳元で小声で告げた。 パンストとパンティを取って、下着を付けずに食事をして、それからホテルまで行こうと言った。 彼女は、「エ~ッ!恥かしいよ~!出来ないよ~!」と言う。 「大丈夫だから。。」と言うと、しぶしぶバッグを持ってトイレに向った。 暫らくして、モジモジしながら戻ってきた。

 「大丈夫かなぁ。スースーするよ。」と落着かない様子だ。 モジモジしながら食事を済ませ、下着なしでホテルに向った。 歩いている間も、廻りが気になって落着かない。 皆が私を見ている感じがすると言うので、「気のせいだ」となだめた。

 ホテルの部屋に入り、彼女を抱き締め、スカートの中を確認すると案の定、しっかり濡れている。 「興奮したの?」と聞くと、頷いた。 「良いものって何?」とせがむので、カバンから紙袋を出し、手渡した。

 「エ~ッ!オムツ!」と手に持って呆然としている。 「使ってみる?」と聞くと、「エ~ッ、これでするの?」と言う。 「オムツでしてみたいと言っていたから。。」と言うと、「ほんとにするの!」と困った様子だった。 小学校のころを思い起こさせてあげると言うと、「いやだよ~」とベソをかく。

 手にオムツを持って突っ立っている彼女の服を脱がせた。 忘れていたが、スカートを脱がすと、下半身スッポンポンだった。 ブラジャーだけの姿は何とも奇怪である。 ベッドに寝させると、トイレに行きたいというので、「必要ないよ」と言うと、「エ~ッ!」抵抗する。 押さえつけてベッドに寝かせた。 「オムツしてあげるね」、「いやだよ~」、「オムツしないとオネショするでしょ」、「そんな~」と言いながら彼女のお尻の下にオムツを刺し込み、足を持ち上げて股間にオムツを這わせた。 左右をテープで止めパンツの様にした。 オムツにブラジャーは不釣合いな姿である。

 「恥かしいよ~」と喚く。 私も服を脱ぎ、ベッドで彼女を抱き締めた。 そのままブラジャーを取り、オッパイを揉んだ。 少し大人しくなり、私の唇を求めながら、おちんちんを触っている。 しかし、部屋に入った時からオシッコをしたかったらしく、「オシッコ!」と暴れるので、オムツしているから大丈夫と抱き締めた。 オムツのお腹の隙間から手をしのばせると、濡れている。 そのままクリトリスを刺激した。

 「あ~、ダメ~、漏れちゃう~!」と騒ぐ。 オシッコが出るあたりを指で刺激すると「ダメ~、出ちゃうよ~」と足をバタバタさせる。 もっと虐めたくなって、オシッコの出口の刺激を強めると、「う~っ」と本当にお漏らしをした。 「出ちゃう~」と言うので、クリトリスを強く刺激すると、身体を震わせ放尿した。 「いや~」と言う。 彼女を抱きしめた。 出ちゃったのと聞くと、頷いた。

 オシッコが出ちゃった彼女は、腕の中で子供の様に無邪気に、そして恥かしそうに甘えている。 イヤだったかと尋ねると、私の胸の中に顔を埋めた。 そして、暫しの間股間の生暖かさを楽しんでいた。 「浣腸してお漏らししたい?」と聞くと、「え~、判んないよ~。」と決して嫌ではなさそうである。

処置が終わって

 昼間から悲壮な状況であった便秘も解消し、彼女は子供の様に甘えてきた。 しかし、
 ・どうなるか判らない不安 (こんな恥かしいことで医者に行きたくない)
 ・私に言っても医者へ行けと言われるだけかも知れないと云う不安
 ・昼間からのお尻に栓をされた様な苦痛
 ・長時間の摘便の間の苦痛と不安 (羞恥の極限状態)
 ・排便に伴う虚脱感
全てが相まって、積極的にセックスを求める状況ではない様子だった。

 私の腕の中で、ひたすら甘えていた。 彼女の羞恥心を表現する自然なスタイルだろうと感じた。 そして、「こんなことまでしてくれるとは思わなかった。嬉しかった。」と呟いた。

 事務所のトイレで自分で浣腸した時の様子を聞いた。 オシッコに行った時にウンチが出そうだったので、少し気張ってみると出そうで出ない状態になった。 そのままで居るのも気持ち悪いので、バッグにあったイチジク浣腸を取り出し、自分で浣腸して我慢した後排泄しようとすると薬液が出たがウンチが出ない。 浣腸液が入ったことで便意だけが残り、どうしようもない状態になり、肛門の圧迫感はそれまでより強まった。 トイレットペーパーでお尻を押さえ、ウンチを押し戻すようにして、その状況を凌いだ。

 経験のない状態にこのままウンチが出なくなってしまうのかと考え冷や汗が出てきた。 医者に行くべきかと考えたが、その状態で一人で医者に行く勇気が出なかったのと、私に言えば何とかして貰えるかもと思い、「でないの!」の一言を発した。 しかし、医者に連れて行かれるだけかも知れないし、私が残業だと言ったらどうしようかと考えたが、後で浣腸して上げると言ったのでホットしたが、苦痛は解消するわけがなかった。

 喫茶店で待つ間も、このまま医者に連れて行かれるのかと考えていたが、私が経験があると云うことを言ったので、気持ちが楽になった。 しかし、どうするのかが判らなかったので、不安は解消せず、浣腸して貰っても結局同じことだったらと思い、どうして良いか判らなかったと言う。

 彼女は、今回の様な肛門の付近で塞いでしまう様な便秘の経験があると、私が言ったことに興味を持っていた。

 社会人になって暫らくした頃に、出張中に便秘になり、薬局の女性に浣腸して貰った時のことを話した。 しかし、その女性とその後深い関係に陥ったことは、彼女にとって不愉快であろうと思い、一回だけの出来事として話した。 薬局の女性は元看護婦さんであり、便秘の状態から今回の彼女と同様であることが判っていた。 従って、最初から指で固くなった便を砕き、浣腸してくれたことを説明した。

 薬局の女性と付き合っている時期に、再びその様な便秘になり、彼女の治療を受けたことがあったが、二回目の時は、自分で肛門に指を入れ処置したこととして説明した。

 話しを聞いていた彼女は、私の経験談に少し嫉妬した様であり、「○○さんが今度私みたいになったら、私がちゃんと治療してあげるからね。」と言った。 本当にそうなった時には、当然彼女して欲しかった。 「勿論だよ」と言うと嬉しそうに笑っていた。

 私は彼女のオムツ嗜好に興味があり、そのことばかり考えながら、彼女のお尻の穴に痛みがないかを確認し、念の為、オロナイン軟膏をたっぷり塗りティッシュを当ててパンティを履かせた。 彼女は、「今日は浣腸しなくていいの?」と聞くので、今日は大丈夫だと言うと少し残念そうな顔をしていた。 自分だけ浣腸されたことに少し不満があったようだ。 その夜は彼女の治療だけでホテルを後にした。

摘便処置

 処置の方法を彼女に説明した。 浣腸をして肛門の近くにあるウンチを指で崩してかき出してあげると言うと、凄い不安の駆られているのが判るが観念したのか従った。

 そのままイチジク浣腸を入れると、便意で余計に苦しくなるので、綺麗にしたコップにイチジク浣腸の液を出し、綺麗な水で薄めた。 薄めた液を浣腸器に吸い上げて準備した。 その様子を不安げに見ていた。

 洗い場で寝させることも出来ないので、洗面器を置いて、そこにウンチをする姿勢をさせた。 腰を少し上げる様にさせ、後ろから薄めた浣腸を2回注入した。 お尻の穴が閉じずらくなっているので注入した浣腸液が直ぐに漏れてきた。 浣腸器を抜くとノズルの先にベットリとウンチがついている。 それを見て、「恥ずかしい!」と目を伏せた。 僅かな便意が生じている彼女の肛門に指を入れると、浣腸液が少し漏れ出た。 そのまま指を入れ、固くなっているウンチを砕く様に指を動かした。 指を抜くと指に続いてコロコロになったウンチが転がり出たが、それ以上でない。 残った浣腸液を続けて注入した。 そして再度指を挿入して先ほどより、入念にウンチを砕いた。 指に触れるウンチをかき出す様にすると、「痛い!」と喚いた。 「我慢しろ!」と指を抜くと、先ほどより多い固いウンチが砕けて排泄された。

 お尻の穴に傷をつけるとまずいので、一旦それで中断した。 かき出された固いウンチを始末し、彼女のお尻をお湯で綺麗に流した。
綺麗になった彼女を湯船に浸からせ、お腹をマッサージしてあげた。 「少しは出たね」と言うと、湯船の中で嬉しそうにしがみついてきた。 「こんなことしてくれるなんて思わなかった。お医者さんみたいだね。私のウンチ触って汚いと思わない?」、「思わないよ。」、「う~、嬉しい~。」としがみつき、唇を重ねてきた。

 湯の中で彼女のお尻の穴をマッサージしながら、痛みはないかと確認すると、痺れた様な感じがして、自分のお尻の穴の様に思えないと言う。 でも、便が詰まっているのは少し楽になり、普通に肛門が閉じられる感じがすると言った。

 暫らく湯船に浸かって気分的にも楽になり、お尻の穴の圧迫感も改善されて彼女の機嫌は良くなった。 無理矢理押し開いたお尻の穴も正常に戻ったと思えるので、「溜まっているの全部出してしまおうか」と聞くと、「また、指でかき出すの?」というので、「後は浣腸ででると思うよ。」と言うと頷いた。

 洗い場で彼女を四つん這いにさせ、軟膏を塗って優しく肛門に指を入れ、状態を確認した。 指に便は感じるが、先ほどの様に硬いウンチは出て、少し軟らかいウンチが残っている。 指に触れる部分を更に砕く様にして指を抜くと、ウンチがベットリと指についている。 それを見せると、「いやだ~!」と恥かしがる。 指を洗って、私の膝の上にうつ伏せさせ、イチジク浣腸2ヶを注入し、更に指で中をほぐした。 今度は、「あぁ~、あぁ~」と気持ち良さそうである。 「感じてる場合か!」と言うと、「でも~」と気持ち良さそうだ。 更に指を動かすと、「あぁ、イイ」と言う。 アソコを調べるとたっぷり濡れている。 感じるのかと聞くと、素直に「うん」と言う。

 指で栓をして、かなり我慢させたが、「もうダメ!」と言うので、指を入れたまま洗面器を跨がせた。 指で刺激し、抜くと同時にオナラとともに多量のウンチを排泄した。 彼女は手で顔を覆った。 その瞬間彼女のトラブルは解決した。

 彼女の身体を綺麗に流し、排泄物を始末した。 私が湯船に戻ると、高潮した顔で私にしがみついてきた。 問題が解決したものの、排便を見られてしまった羞恥は普通ではなかった様子だ。 初めて浣腸された時以上に恥ずかしかったと彼女は呟いた。

 その羞恥感が、彼女を一層興奮させている。 私もその時、彼女が今の言葉で言えば、「M」なんだと感じた。 彼女は恥ずかしいことをされるのが好きなのだろう。 彼女の濡れ具合からもっと恥ずかしいことをさせたくなった。 「今度はオムツだね。」と彼女に言った。


2014年4月20日日曜日

摘便の準備

 薬局で買い求めた浣腸を持って、少し離れたラブホテルに入った。 今日の彼女は、セックスを求めるラブホテルの感覚はなく、歩くのも不快な状況らしい。 部屋に入っても抱きついて唇を重ねる様な状況ではない。 ベッドに横たわってもその不快感は解決しない。 今日は僕の言う通りにするんだよと言うと、素直に頷いた。 でも痛いのはイヤだというので、解決する方が優先だと説明した。

 ベッドに寝そべる彼女は不安に駆られている。 そのままスカートのしたの下着を脱がそうとすると、「どうするの?」と不安に駆られている。 「まずはどんな状況かしらべないとね」と言って、パンストとパンティを脱がせようとすると嫌がったので確認すると、余程気持ち悪かったのかお尻の穴に生理用のナプキンを当ててパンティを履いていた。 ナプキンを取ってパンティを脱がせ、足を持ち上げお尻の穴の状態を確認した。 「恥ずかしい~!」と手で顔を覆う。

 軟膏を塗り、お尻の穴を押さえると、「イヤ~ッ!」と云う。 とても気持ち悪い様子である。 そのまま指をお尻の穴に差し入れると、ウンチが出かけているのが判った。 固くなっているウンチをかき出さないといけないと説明すると、「エ~ッ!」と悲鳴を上げる。 その状態で指を入れ、固くなっているウンチをほぐしてみた。 彼女が、「出てしまいそう!」と言う。 ベッドを汚すとまずいので、風呂場でして上げると説明し、しぶしぶ納得させ風呂場に連れて行った。

 洗い場をシャワーで綺麗に流し、いつでも温まれる様に湯をはった。 買い求めた浣腸を直ぐに使える様に箱から出して準備した。 そして、彼女を洗い場で四つん這いにさせ、手とお知りの穴にオロナイン軟膏を付け、お尻の力を抜く様に言った。 彼女の肛門が可愛い。 お尻の穴に指を入れ様とすると、「あ~っ!」と呻いた。 力を入れてお尻の穴に指を挿入すると、直ぐ中に大量のウンチが出かけているのが判った。

 自分自身が経験したことと同じなので、状況を説明してあげた。 彼女は理解はしたもののどうして良いか判らず不安で涙目になっていた。

急患?からのメール

 バッグの中にイチジク浣腸を常備する様になったのは、私の影響が大きいが、バッグのイチジク浣腸を私に見せて以降、何でも私に説明(報告)する様になった。 彼女とっては、私が気持ちの開放相手であるらしい。 普通では他人に言わない秘密にしていることを私に話すことで、日頃の仕事や家庭のストレスを発散しているのかも知れない。

 事務所のトイレで浣腸したこともある彼女は、ある日、大発見でもした様に話した。 「今日ね、トイレいったんだ。」、「それで?」、「女子のトイレにゴミ箱があるでしょ。あの中に浣腸が捨ててあったんだよ。」、「女の子も沢山居るんだから、君の様に便秘の人も多いんじゃない。」、「そうだよね。浣腸したの私だけじゃないんだって、ちょっと安心したよ。」と言う。

 それだけでなく、「今朝はちゃんと出たよ。」、「2日間出てないよ。」、「今日、生理になっちゃった。」などと、人気がない時は声に出して言うこともあった。 ある時、「出ないよ。」と、いつもと様子が違う。 ちょっと気になったが、いつもの「お通じ報告」と意に介してなかった。 暫らくして、携帯電話のメール着信があった。 携帯を見ると彼女からのメールだった。

 着信したメールは彼女からであった。 タイトル「出ないの!」、何が出ないのかと本文を読むと、「ウンチ出ないの。浣腸してみたけどだめなの。どうしよう。」だった。 「また浣腸したら出るよ。今夜して上げるね。」と返信メールを送信すると、「うん」と気力のない連絡だった。 メールで待ち合わせ場所と時刻を連絡した。 しかし、仕事をしていても憂鬱な顔をしているのは気になっていた。

 早めに仕事を切り上げ、目立たない様に、少し離れた喫茶店で待ち合わせた。 私が喫茶店に到着した時には、既に彼女は浮かぬ顔をして喫茶店の席でジュースを飲んでいた。 「しんどそうだね」というと「うん」とだけ言う。 問いただすと「お医者さんに行かないとダメかも。。。」と言うので、詳しく話しを聞いた。

 今までは、お通じがなくても、便秘薬を飲んだり、浣腸することでウンチが出ていた。 私と浣腸をし合う様になってからは、彼女は便秘知らずの状態だった。 しかし、ここ暫らくその行為も遠ざかっていた。 状況を詳しく聞くと、今日事務所のトイレで浣腸してみたけど、お薬だけが出てウンチが肛門を押し広げる状態でそれ以上出てくれないということだった。 私自身経験している症状で摘便すれば大丈夫なことが判ったので安心した。

 彼女は経験がないことで、喫茶店で話している時も、椅子に座っていることすら不快な状態らしく、医者に行かないと解決できないのではと強い不安を抱いていた。 様子を聞いて、「大丈夫だよ」と言うと、「何が大丈夫なのよ。どうしたらいいの?」と言う。 そう言いながらも、座っている椅子の上で、お尻をモゾモゾさせている。 「気持悪い?」と聞くと、「気持悪いし、午後から無理矢理お尻の穴を押し広げられている感じが続いているんだ。」と言う。 「治療しようか?」と言うと、「お医者さんへ行くの?」と聞く。 こんなことで医者に行くのはとても恥ずかしいと言う。 「僕が治療してあげるよ。経験あるから。」と言うと、「そんなことできるの?」と言いながら、少し安心した様子だった。

 治療するのに浣腸が何個か必要だったので、喫茶店を出て薬局に寄り、イチジク浣腸3箱とオロナイン軟膏を買い求め、ラブホテルに向った。

浣腸が日常化

 互いに家庭を持ち、また残業の多い仕事であったため、不倫と言っても実際に会って浣腸をし合ったり、セックスをする頻度は少なかったが、同じ職場に居ることで互いの状況はよく判っていたため、気持ちのすれ違いが起こることはなかった。

 ある時、互いに時間調整し、一緒に過ごすことが出来た。 食事をしている時に、彼女はこっそりバッグを開け中を私に見せた。 「私も持ってるんだ。」 バッグを覗くと中にイチジク浣腸の箱が見えた。 「この間、事務所のトイレで使ったんだ。」、「どうだった?」、「ドキドキしたよ。でもスッキリしたよ。」

 食事も終わり、コーヒーを飲みながら、「今日、浣腸したい?」と聞くと、「恥ずかしいよ~。」と言いながら頷いた。 「今日はウンチでたの?」、「朝出なかったよ。」、「じゃ~、溜まってるんだね。」、「イヤだ~、恥ずかしい。」、「オムツは?」、「え~っ!持ってるの?」、「持ってないよ。買ってもいいよ。」、「今日はいいよ。考えておくね。」

 「トイレでパンティ脱いでおいで。。。」、「え~っ!そんな~。恥ずかしいよ。」、「いいじゃない。」 彼女はバッグを持ってトイレに立った。 暫らくして、恥ずかしそうな顔をして席に戻ってきた。 「取ってきたよ。スースーするよ。」

 その日は、薬局スーパーでオムツと浣腸を買い求め、ホテルでプレィした。

オムツの話し と 車中オナニー

 車中からの夜桜見物は、助手席シートで立て膝をした彼女の陰部を刺激しながらのオムツの話しとなった。 パンストを脱ぎ、パンティの横から刺激されている穏やかな快感を楽しんでいた。 浣腸やオムツの話しは彼女の気持ちを刺激し、頭の中の想像と陰部の快感は興奮を助長した。

 彼女は、幼稚園や小学校低学年の頃、友達とは違いオムツをして寝ていた。 必ずしもオネショをしてしまう訳ではないが、オムツをせずに寝た時に限ってオネショをするため、母親は仕方なくオムツを着けさせていた。 彼女はオムツをされることと、洗濯したオシメが干されていることは、恥ずかしく且つ嫌なことだった。

 また、排泄に対する過剰意識が原因かどうかは判らないが、便秘になり浣腸されることもしばしばあった。 彼女の家ではイチジク浣腸も使ったが、ガラス浣腸器での浣腸が当たり前であった。 また病気の時は、差し込み便器で排泄差されることも度々であった。 その様なことが、潜在意識に染み付き、益々排泄に対する過剰な意識を高めた。

 結婚後は、排泄に対する意識も遠のいていたが、夫とのすれ違いのストレスから便秘になることも多く、また仕事もあって浣腸を使って解消した。 また浣腸した時の興奮でオナニーをすることも多く、子供の頃の排泄についての過剰な意識が甦り、オムツにも変な郷愁が湧いていた。

 私の場合は、小児便秘と脱腸が排泄に対する過剰意識を生み、また継続する便秘が大人になっても浣腸を手放せない状況を作ってしまった。

 共に排泄に対する過剰な意識が、浣腸への執着を助長し、浣腸に快感を感じる様になったことは同じ経緯といえる。 いずれにせよ、その様な2人が出会い、浣腸を切っ掛けに結ばれた。 同じ嗜好を持つ者同士が深く結びつき合うのは当然なのかも知れない。 自分の嗜好が満たされることが一番のストレス解消の方法であると共に、益々その嗜好を追い求めてしまう。 彼女も私もその状況に陥ったと思う。

 陰部を濡らす彼女は、ズボンの中で勃起する私の股間に手をあて更に興奮していた。 しかし、誰かに見られているかも知れない車中でセックスに及ぶことも難しく、とは言え、彼女の高ぶりは簡単には治まらなかった。 彼女は助手席で前にずり落ちそうな格好をしていたので、愛液で濡れた指をお尻の穴に入れると、「うっ!あぁ~っ!」と呻いた。 指を出し入れすると「あぁ~、イイ!」と声を出す。 彼女の手を陰部に誘うと、自分でクリトリスを刺激し始めた。 お尻の穴に挿入した指を動かすと陰部を刺激する彼女の手の動きも激しくなった。 「あぁ~、イイ!」と声を出しながら、シートの上でのけ反り、「イイ!イク~ッ!」と絶頂を迎えてた。

 横でオナニーを見た私も興奮した。 オナニーをし終えても彼女は高ぶっていて、私の股間を触ってきた。 「オナニーしちゃったね。気持ち良かった?」と言うと、「いや!見てたの?」と言われても横に居たんだからどうしようもない。 ズボンのファスナーを下ろすと、私の股間に顔を隠した。


彼女もオムツに興味を

 薬局の女性から、かなり期間が空いて二人目のパートナーであったが、考えてみれば私の浣腸パートナーは社会人になった頃の薬局の女性と仕事仲間の女性の二人であり、共に交際した時は、私の年齢に関係なく40歳代だった。 その様な意味で、若い女性とではなく、それなりの人生経験のある女性の方が自分が安らいだ気持ちになれることを自覚していた。

 ある時、桜の咲く公園に車を止め、夜桜を楽しんだ。 何台かの車が同じ様に一定の間隔を空け駐車している。 また少ないが人通りもあり、極端な行為は出来ない。 互いにそんな場所で過激な行為をする必要もないので、缶コーヒーを飲みながら取り止めもない会話を交わしていた。 私がスカートの上から膝に手を遣り股間に近づけると、彼女は私の手をパチリと叩いた。  彼女は靴を脱ぎ、車のシートの上に足を上げ立て膝をした。 横からスカートに手をいれるとパンストとパンティの上から彼女の大切な部分に触れた。 そのまま刺激するとパンティの中が湿気てくるのが判った。 パンストを脱ぐ様に言うとスカートの中で外から見えない様にパンストを脱ぎ去り、同じ様な立て膝の姿勢に戻った。  パンティの上から刺激を続けると彼女のワギナは蜜に満たされた。 パンティの横から指を忍ばせ、大切な部分を直接指で刺激した。 彼女もその刺激を楽しんでいた。 そんな行為をしながら、桜を眺め、他愛無い話をした。 そんな中、彼女が突然、「オムツでしたことあるの?」と言った。

 「オムツがどうしたの?」 「うん。浣腸してオムツでしたことあるのかなぁって思って。。。」 「君は?」 「だった家でそんなことできないでしょ。」 「なら、同じだよ。でも興味はあるよ。」

 彼女がオムツに興味があることの偶然性に驚いた。 オムツで若い頃の薬局の女性が話していたことを思い出した。 中学生までオムツが取れず、大人になってもオムツに執着があり、オムツでの失禁に快感を求めているということを頭の中で描いていた。 そして、聞いた話しとして、大人になってもオムツに執着している女性がいるらしいことを彼女に話した。

 話しを聞いて、「私も同じかもしれない!」と彼女が呟いた。 「君もオムツ取れなかったの?」と聞くと、「うん」と言う。 色々聞くと、小学校の5年生までオムツをして寝ていたらしい。 高学年になると、修学旅行に行きたいこともあって、頑張ってオムツと縁をきることができたが、今でもそのことはトラウマになっているらしい。

 当時は紙オムツではなく、布オシメとオムツカバーをしていた。 毎日、寝る前に母親にオムツをされることと、洗濯したオシメは干されているのが嫌だった。

 結婚してから、家に自分一人の時に、紙オムツで寝、布団の中でお漏らしをしながら子供の頃を思い起こしたらしい。 大人になって、ウンチをオムツで漏らしたことはないが、一度してみたいと彼女は言う。 私自身、病気の時に浣腸してオムツ排泄させられた経験があることを話した。 しかし、薬局の女性に、オムツをあてがわれ、浣腸されてウンチ、オシッコ、そして射精をした経験があることは秘密にした。

2014年4月19日土曜日

彼女へ挿入

 彼女はクリトリスを刺激される快感に、「あ~!あ~!」と声を出し、唇を求め続けた。 彼女をベッドに寝かせ、パンティを取り、クリトリスへの刺激を続けた。 指を膣に移動して刺激をすると、更に「イイ!イイ!あ~っ、イイ!」と声を大きくした。 蜜に濡れた指をずらし、お尻の穴に差し入れると「うう~っ!」呻いた。

 肛門から指を抜くと、うっとりと目を開け、私を見つめていた。 そして彼女を抱き締めた。 「触ってもいい?」、「いいよ」、彼女の手が私のおちんちんをパンツの上から弄っている。 そして、パンツの中に手が入り、大きくなったおちんちんを握りしめた。 彼女は起き上がると、私のパンツに手を掛け、脱がせた。 そして、口でおちんちんに愛撫し始めた。

 舌でおちんちんの先を刺激されると、全身に電気が走る。 彼女のお尻を引き寄せ、後ろから彼女のクリトリスを刺激する。 彼女の口での愛撫は激しくなり、クリトリスを刺激されているお尻を何かを求める様に揺り動かしている。

 彼女を寝かせ、おちんちんにゴムをつけた。 向かい合う形で彼女の中におちんちんを挿入すると、「あぁ~あぁ~っ!」と声を出し、腰を前後すると両足でしがみ付いてきた。 締め付けの良い膣であり、彼女自身性的感度が強い。

 彼女との性的関係を持つ限り、浣腸のパートナーでないと私の満足は得られない。 「これからも浣腸して欲しい?」・・・彼女は、少し頷いた。 「私もしていい?」「勿論だよ」 激しく出し入れすると、「イイ、イイ、イク、イク・・・・」と二人は共に果てた。 そして、少し目を開け、「こんなに感じたの久し振りだ」と言う。

 旦那とセックスレスになってから、誰とも情交の機会はなかったらしい。 彼女がそんな家庭状況だと初めて知った。

 その夜、仕事仲間の女性は互いに自然と「浣腸パートナー」になったことを認識した。 しかし、同じ仕事をする仲間、共に家庭を持つ不倫関係であることも判っていた。 仕事の上でも、家庭面でも、誰かに知れたら取り返しがつかないことになることも認識していた。

 しかし、それ以上に彼女は、家庭で充たされない部分をはっきりと認識してしまった。 そして、心の充足と肉体の充足を私に求めた。 結ばれた夜、彼女は朝まで私の部屋で過ごした。 互いに求めるものが、「身体」と「浣腸」と「羞恥」であることが判っていたし、それを求めても許される相手であると認識したからだ。

 身体を合わせたこと、お互いが浣腸をし合ったこと、人には言わなかったプライベートな事実を知ったことで、急速な接近となり、更に確かめたい気持ちになった。

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 出張からの帰路は、新婚旅行から帰る新婚ムードであった。

 仕事の上でも、プライベートでも絶対に他の人に知られない様に最大の注意を払うことを約束した。 若い頃とは違い、その頃になると携帯電話も一般化し、密会の連絡は比較的遣り易いし、仕事で昼間も同じ場所に居ることも多く、人知れず連絡することが出来た。 しかし、二人だけでの日中の行動は控え、親密さを知られることはなく、共に既婚者であることが二人の関係をカモフラージュした。

 仕事で車を利用することも多く、人目につかぬ様に通勤の途中を共に行動することも出来た。 近くの喫茶店やレストランで時間を過ごし、誰かの目に止まることは避け、車の中で二人で時間と空間を共有することも多かった。 車の中なら、人目や人の耳を気遣うことなく会話ができた。

 二人きりの時は、浣腸やエッチのことだけでなく、仕事のことも互いに相談し合え、充実を感じることが出来た。

2014年4月13日日曜日

彼女との予期せぬ展開

 仕事帰りの気軽な食事で始まった浣腸の縁。 それはたまたま私のカバンの中に見えた「イチジク浣腸の箱」が切っ掛けだった。 彼女自身浣腸を使っていたため、それが目に止まり、お互いが浣腸常用者であることを知った。

 しかし、その事実を互いに知った段階では、浣腸をし合う関係になるとは思ってもいなかったが、出張のホテルでそれぞれの部屋に一人でいると、互いに浣腸のことが頭を過ぎっていたのだろうと思う。 彼女の体調不良と重なり、私に浣腸の所持を確認する気になったと思えるし、またハプニングを頭に描いていたのかも知れない。

 でなければ、「浣腸してあげようか?」と言う問い掛けに従順になれないし、また、私に対し、浣腸してやろうということにもならないと思う。

 一緒に仕事をする関係の場合、ある一線を越えると、仕事に支障を来たす可能性があることも子供ではない二人には判っていた。 しかし、単純な身体の関係ではなく、浣腸というものを媒介とした関係は、そう簡単に遭遇できるものではない。 とは言え、単に意気投合し合ったからといって、浣腸による興奮を互いの肉体を求め合うことで解決する行動に移るのは難しい。 互いに浣腸パートナーを求めつつ、一線を越えて抱き合う勇気を持ち合わせていなかった。

 しかし、二人きりの空間で、少なくとも互いに浣腸されることを許し合った状態から素面に立ち戻ることは難しく、私は彼女の横に腰を掛け、そっと背中に手を廻した。 彼女も抵抗することなく、私に寄り掛かってきた。 そして、彼女に耳に息を吹きかえると彼女は、「あ~」と声を出した。 そして、「ダメです」と私を押しやった。


 「そうだよね。ごめんね。僕が悪かった。」 「一緒に仕事できなくなると互いに困りますよ。」 「それに、共に家庭を持ってるんだから。。。ダメだよね。変なことになったら家に帰れないよね。」

 その言葉に彼女は黙ってしまった。 彼女の顔を見ると、目が潤んでいる。 「どうしたの?何か悪いこと言ったかな?」 「違うのよ。」 「どうしたの?」 「・・・・」

 暫らくして彼女は話し始めた。 「実はね。私主人と上手く行ってないの。。。だから仕事で気を紛らわせていたのかも知れない。」 「そうなの。」 「主人とは年を経る毎にお互いの気持ちが遠のいて、もう他人の様な気持ちなの。」 「何でそんなことになったの?」 「判らないわ」 「いつも寂しくて、○○さんのカバンにイチジク浣腸が入っているのを見た時、親近感が湧いてしまったわ。 今回の出張時も浣腸のことが頭から離れなくて。。。」 「・・・」 「部屋に一人でいると寂しくなって、でもこんな夜に用事もないのに部屋に押し掛けたら変でしょ。 だから、ついつい体調が悪いと電話をしてしまったの。」 「気にしなくていいよ。」 「そして浣腸して上げると言われたときは、ビックリしたけど、凄く浣腸されたい気持ちになったの。。。」

 それを聞いて、手を出すと私の手を取った。 手を引っ張り膝の上に座らせた。 素直に膝に乗り抱き付いてきた。 そっと抱き締め、暫らくそうしていた。 彼女の胸の膨らみが心地良い。 手をずらし胸をまさぐるが彼女は抵抗しない。 優しく揉むと彼女はため息を洩らした。 「これからも浣腸して上げようか?」と聞くと、頷いた。 浣腸されると興奮するかと聞くと、再び頷いた。 胸を触っていた手を股間にずらすと、「ダメ~ッ」と言ったが、パンティの上から濡れているのが判る。

 パンティの中に手を入れると、彼女は強くしがみついてきた。 そして私の手はたっぷりの蜜に触れた。

仕返しの浣腸

 彼女は、お尻を押さえたまま、ベッドからトイレへ向った。 ドアが閉まると直ぐにガスが出る音に続いて排泄音らしきものが聞こえてきた。 暫らくして水を流す音と共にドアが開き、彼女が伏せ目で出てきた。

 「スッキリしましたか?」 「ええ、お陰様で。」 「ゴメンなさいね。恥ずかしかったですか?」 「当たり前ですよ。」 「そうですね。」

 「○○さんは浣腸しなくていいんですか?」 「僕は。。。いいですよ。」 「そんなのダメです。人にしておいて。。。私がしてあげますよ。」と強い口調で言ってきた。 仕返しの様に、「ベッドに横になってください。」と1つ残っている浣腸の箱を手に取った。 「えぇ~っ!」と言ってしまった。

 「私もお礼をしないとね。」と言うので、ベッドに腰を下ろした。 そのまま押し倒され、無造作に浴衣を捲くりパンツに手を掛けた。 「大人しく言うことを聞くんですよ。」と勢いよくパンツを下ろした。 同時におちんちんも露わになった。 慌てて下ろされたパンツを引き上げ、露出したものを隠した。

 浣腸された仕返しというよりも、仕事の鬱憤を晴らす様な感覚だったのかもしれない。 そして予告なくお尻の穴を指で広げイチジク浣腸が挿入された。 そしてヒンヤリした液が注入された。 パンツで隠したところが反応する。 浣腸を抜くとティッシュで押さえてくれ、「十分我慢するのよ。」と言った。

 暫らく我慢し、トイレで排泄を済ませ、戻ると彼女はまだ部屋に居た。 「どう、チャンと出た?」と聞かれ、「うん」と答えた。 何となく、いつもの仕事での付き合いを超えてしまったことを互いに認識していた。 突然の関係のスリップに会話の言葉を失った様になり、またそのまま部屋を出てしまう状況でもない様に感じた。

 コーヒーでも飲もうかと誘ったら、「はい」ということになった。 ホテルの部屋に備えられたコーヒーを彼女が入れてくれた。 後姿の浴衣のお尻が何となく気になり、もう一度触れてみたい気がした。

 コーヒーを飲みながら、やはり話題は浣腸のことになった。 私が浣腸してあげようと言った瞬間、その言葉を聞いて凄くアソコが熱くなったと告白した。 実際に浣腸が挿入された時には、興奮もピークだったらしい。

出張の機会

 プロジェクトの作業は、川崎方面の事業所との打合せが多く、出張の機会も頻繁にあった。 数人での出張や、私一人での出張などメンバーは何時も同じと言う訳ではなかったが、偶々管理面での調整が目的であったため、食事を一緒にした女性と出張することとなった。

 旅券や宿泊の手配は全て彼女にお願いし、当日新幹線で共に川崎へ向かった。 先日の便秘や脱腸の話し、それに浣腸のことなど、それまで仕事の話ししかしなかったのが個人の秘密を知ったことで気分的に近しい意識が湧いていた。 駅弁やお茶など、色々面倒見てくれた。 もっとも支払は私の役割であったが、仲良く道中を楽しむことができた。

 その日の仕事も済ませ、打合せ相手先のメンバーと夕食も済ませた。 予約していたホテルへ彼女と向かい、チェックインした後、おやすみの挨拶と明日の出発時刻を確認してそれぞれの部屋に別れた。 入浴も済ませ、ウンチのことが気にはなったが疲れていることもあり、テレビを見ながら寝ようと考えていると部屋の電話が鳴った。

 受話器を上げると、彼女の声がした。 「どうしました?」、「もう寝ちゃいましたか?」、「いいえ、まだ起きてますよ。」、「あ~、良かった!」、「どうしたんですか?」、「言い難いんですが、お願いがあるんです。」、「どんなことですが?」、「あれ、お持ちですか?」、「あれって?」、「前、カバンに入れておられたでしょ。」、「浣腸のことですか?」、「はい」、「持ってますよ。必要なんですか?」、「ええ、ちょっと調子が悪くって、薬局も閉ってるし、もし良かったら。。。」、「いいですよ。使ってください。」、「戴きに行ってもいいですか?」、「はい、どうぞ。」

 暫らくして、ドアをノックする音がし、開けると彼女が浴衣にカーディガンを羽織って立っていた。」

 ドアの向こうの立っている彼女を、ドアを開いたまま招き入れた。 「2箱持ってますから、1箱持っていきますか。」、「ありがとうございます。」と彼女にイチジク浣腸1箱を手渡した。 言おうとして躊躇ったが、思い切って言った。 「もし良かったら、してあげますよ。」、「エ~ッ!」、「いえいえ冗談ですよ。」そのまま浣腸を持って部屋に戻るかと思ったが、彼女はその場から動かなかった。

 「ごめんなさい。冗談ですよ。」、「・・・・・」、「家庭を持っておられるのだし、これから仕事や遣りにくくなる様なことは考えてないですよ。馴れているから、ふと浣腸して上げたいなと思っただけです。」、「・・・・・」

 立っていた彼女が、ベッドの隅に腰を降ろした。 「して上げましょうか?」、「本当に浣腸だけですよね。」、「勿論です。」と言いながら、開いていたドアを閉めたが彼女はベッドに座ったままであった。 湯上りの女性のいい匂いが漂う。 浴衣姿の彼女が艶めかしい。 「本当に浣腸するだけですよね。」、「ややこしくなることはしないですよ。」、「・・・」、「良かったら横になってください。」。 彼女は素直にベッドに横になった。 想定外の展開となってきた。

 彼女に渡した浣腸の箱を開け、バッグから軟膏を取り出した。 「本当にいいんですか?」、「・・・」彼女は私に背を向け、ベッドの上で横になっている。 「じゃ~、しますよ。パンツを少し下ろしますからね。」、彼女の浴衣をたくし上げようとすると彼女は腰を浮かせた。 ピンクのパンティを履いたお尻が可愛い。 「パンティ下ろしますよ。」というと、またお尻を浮かせた。 パンティに手をかけると身体がピクリとした。 お尻の穴だけ見えるところまでパンティを下げた。 お尻に手を当てると、また身体がピクリとした。 お尻を手で広げると綺麗なお尻の穴が見えた。

 軟膏を手に取り、お尻の穴に塗ると、「あ~、だめ!」と言う。 「じゃ~、入れますよ。」、「・・・」、浣腸をお尻の穴に当てると、またピクリとした。 「入れますよ。」と言って浣腸を差し入れ、薬液を注入した。 パンティが邪魔になったので、もう少し下げると、彼女の大切な所が見えた。 彼女は抵抗しなかった。 少し薬液が残ったので、もう一度注入し直した。 お尻にティッシュを当て自分で押さえている様に言うと、彼女はその状態で我慢した。 浴衣を戻し、使用済みの浣腸の始末をした。

私の子供の頃のことに興味津々

 「子供の頃のことって、どんなことなんですか?」、「え~!話すんですか?恥ずかしいですよ。」、「そこまで言ったら聞きたくなりますよ。」、「でも食事中に便秘の話しするんですか?」、「私は大丈夫ですよ。」、「でしたら。。。」

 「幼稚園に通い始めるころからしか記憶にないですが、小児性便秘だったと思います。自宅で母によく浣腸されてました。」、「私もですよ。」、「それが原因かどうかは判りませんが、幼稚園の頃に脱腸になってしまったんです。」、「脱腸って聞いたことはありますが、どうなるんですか?」、「どうなるって、説明し辛いですよ。一口に言えば腸の一部が骨盤の間から股間に迫り出すんです。」、「よく判らないけど、へぇ~。」、「だから下腹部に力を入れるとなり易いんです。例えば重い物を持ち上げ様としたり、ウンチを気張ったり。。。」、「そうなんですね。やっぱり、便秘がいけないんですね。」、「原因が便秘かどうかははっきりしません。でも、脱腸になってしまったんです。それからが大変でした。」、「へぇ~、どんな風に?」。。。

 「治療のために脱腸帯というものを四六時中つけていたんです。それとウンチを気張ることが出来ず、自宅以外では排便しなかったです。いつも浣腸でした。」、「毎日ですか?」、「そうでもないですが、それが習慣の様になってしまったというか、外でするのが怖かったんですね。小学校の間中その状態が続きました。」、「大変だったんですね。」、「元々便秘症の体質と、余り人に言えない事情が浣腸を携行する様になった原因です。」

 「その脱腸というのは、今は大丈夫なんですか?」、「大人になってある程度の体格が出来上がると大丈夫らしいですが、100%大丈夫とは言えないでしょうね。だから今でも不安はありますよ。」。 初めて聞く話しに興味津々の様子であった。

職場のある女性との出会い

 結婚生活も日々平凡なものとなり、技術者としての仕事は順調だった。 薬局の女性とは、携帯電話や携帯メールがない時代に於いては、何気なく連絡をとるということは日常的でなく、ついつい疎遠になってしまった。 また、一度疎遠になると、突然連絡することもなく、お互いにたにんとなってしまう。 東京へ出張する機会もあったが、長く会っていないと相手の様子も判らず、敢えて訪ねることもなかった。

 しかし、相も変わらずお腹は不調だった。 結婚してからも日常的にイチジク浣腸を携行していた。 突然の出張も持っていれば安心であった。 事務所のトイレで使用したこともあった。 出張のホテルで使用するのは不思議ではなかった。

 プロジェクトでの仕事が多かったが、あるプロジェクトで外注者の中に女性がいた。 彼女は主婦であり、技術者であった。 管理面の作業を委託していたため、私との日常的なコンタクトが多かった。 仕事を円滑に進めるためにも、また多少の浮気心もあってその女性を食事に誘った。 日頃から親しく会話する間柄でもあったので、誘いを快く受け入れた。

 彼女との食事を約束した日、気持ちはウキウキしていた。 ゆっくり食事をしたいと思い、朝浣腸で排便し仕事に向った。 使ったイチジク浣腸の残りは日頃の習慣で仕事のカバンに入れていた。

 夕刻、仕事もそこそこに、少し離れた待ち合わせ場所の喫茶店に向かった。 彼女は既に席に座り飲み物を飲んでいた。 「すみません。遅くなって。ご主人に怒られませんか?」、「大丈夫ですよ。仕事の付き合いの食事ぐらい。」、コーヒーを注文し、仕事のことでの会話で少しの時間を費やした。


 喫茶店を出て、食事に向かった。 日頃喫茶店で仕事の話しをしたり、昼食が一緒だったり互いに違和感のないことだった。 ちょっと奮発し、高級和食を食べることにした。 食事も美味しく、多少のお酒もすすんだ。 会話も弾み、互いの子供のことなど、楽しい時間が過ぎた。 トイレへ行こうと席を立った時、横に置いていたカバンが倒れたが気に止めずトイレで用を済ませ席に戻った。

 彼女が何か言いたそうな雰囲気で口篭っている。 「どうしたの?」、「聞いてもいいですか?××さんって便秘なんですか?」と聞く。 「えっ!どうして?」、「でも、さっきカバンが倒れた時に見えてしまったんですけど。」と倒れたカバンを起そうとするとイチジク浣腸の箱が落ちそうになった。 「あら、見えてしまったんですね。」、「ええ、ごめんなさい。」、「貴女がカバンを開けたんじゃないから、謝ることはないですよ。別に見せびらかすものでもないですが、ご想像の通りです。不安な時があるのでカバンに入れていることもあるんです。」、「そうなんですか!」。

 「会社で使ってるんですか?」、「たまにね。一番問題なのは出張などで生活環境が変わった時なんです。」、「へぇ~、私も便秘症ですから良く判りますけど。。。私の場合はストレスみたいです。 それと仕事をしているとついつい我慢するので。 でも、男の人で便秘症って珍しいですね。」、「そうみたいですね。私の場合、子供の頃からのいきさつがあってね。」、「聞きたいわ。」・・・・とお互い差しさわりのない範囲で、便秘のことを暫し話した。

薬局の女性との疎遠化

 薬局の女性とは、恋愛関係に始まった縁ではなく、私の便秘が偶然取り持った変な関係であったが、私にとっては初めてのセックスの相手であり、また、出張時の母親の様な存在だった。

 しかし、出張頻度が減り、私も結婚したこともあって、自然と疎遠になり、妻とのノーマルか夫婦生活を送っていた。 別に不満はないが、時々懐かしく思い出していた。 一度疎遠になると、どちらからも敢えて連絡することもなく、疎遠化に拍車がかかってしまっていた。

 薬局の女性と疎遠になってからも、私自身の便秘症は変わることはなかった。 浣腸をし合う相手もなく、必要なときには、自分で浣腸する日々が過ぎた。 私にとっては、社会に出て早々での、薬局の女性との出会いが刺激的であり、且つ充実していたこともあって、心に空洞ができた感覚だった。

2014年4月12日土曜日

オムツ排泄

 前に置かれた紙袋には、オムツとカバーが2組入っていた。 オムツは、その頃珍しい病院などで利用される使い捨てタイプであった。 2組入っているということは。。。。。

 「2組あるけど、君も使うの?」・・・「お揃いでどうかなって思って。。。」とまぁ、驚く様な話しであった。 オムツを着けて二人で表を歩く訳でもないので、お揃いとは可笑しくなる。 というよりも、彼女も非日常的な行為に大いに興味を持ち始めたのかと思った。 多分そうなんだろう。

 温泉旅行で下着を着けずに外出したことや、野外での浣腸など、私も彼女も一人では出来ないことをしたことが、非日常的行為に火をつけたのだろうか。 オムツを手にとって見ながら、色々考えてしまった。 オムツで寝てオシッコのお漏らし、浣腸されてのオムツ排泄、オムツを着けての外出。。。。などなど。 頭の中で想像していると、彼女が急に、迫って来た。 

 「今日は風邪で寝込んでいるんだよ。そんな風にして。。。」と、バスローブ姿の私をベッドに押し倒した。 バスローブの下には下着をつけていなかった私の足を上げる様に言い、お尻の下に、オムツカバーに紙オムツを重ねて敷いた。 「ウンチでてないね。浣腸しようね。」と言ってイチジク浣腸を取り出し、お尻の穴に差し入れ薬液を注入した。 そんな風にされるとおちんちんが大きくなった。 「だめよ。おちんちん大きくしたら、オムツできないでしょ。」と怒る。 浣腸をし終えて大きくなったおちんちんを無理矢理押さえ付け、オムツカバーを閉じた。


 子供の頃にオムツ排泄の経験はあったが、大人になるとその感覚も変わったものとなる。 母親の様に全面的に甘えている状態に於いて感じない恥ずかしさが、母親的な存在であってもセックスの対象である彼女に対しては恥ずかしく感じてしまい、オムツの中に排泄することを躊躇してしまう。

 とは言え、浣腸によって発生する強制的な便意には変わりはなく、我慢の限界が訪れる。 我慢している間、彼女の乳房を触りその感触を楽しんでいたが、「もう、ダメだよ。出ちゃうよ。」と言うと、彼女はお腹のオムツの隙間から手を入れ、おちんちんを刺激した。 そしてオムツのフックを外し、おちんちんを激しく刺激されると、前と後ろの限界が同時に訪れ、「出ちゃう~!」、おちんちんが脈打つと同時にお尻の穴が決壊した。

 「あら、でちゃった?全部だしていいのよ。」と乳房を顔に近付け母親の様に甘えさせてくれた。 出る物が出てしまい、オシッコもしたくなる。 「オシッコもしていいよ。」の言葉に甘え、彼女に見守られながら排尿。 「赤ちゃんだね。」と言われ、無事終了。 彼女が全て始末し、お尻やおちんちんを綺麗にしてくれた。

 大人になってからの初めての浣腸でのオムツ排泄だった。


薬局の女性友達のオシメ嗜好

 彼女はある時、興味深い話しをしてくれた。

 彼女が女友達の家に遊びに行った時、その友達は浮かぬ顔をしていた。 どうしたのかと訪ねると、2~3日便秘で困っているとのことだった。 薬を飲んだが結果が芳しくない。 彼女は浣腸してみてはどうかと勧めたが自宅に浣腸はないとのことで、彼女は薬局に戻り、浣腸を持って再び訪問した。

 彼女は、女友達に浣腸を渡し、「して上げようか?」というと、「お願い!」ということになった。 女友達同士、別に遠慮はなかった。 お尻を出させイチジク浣腸2個を注入し、我慢させた。 友達は無事浣腸で排便でき、彼女自身は浣腸を使っていることを説明した。 女友達もこれから困った時は浣腸を使ってみると言った。

 彼女はトイレを借り、オシッコの用を済ませて洗濯物干し場を見て、不思議なものを発見した。 どう見てもそれは「オシメ」であった。 子供が居る訳でもないので不思議に思い、「誰かオシメするの?」と聞くと、女友達は驚いた表情をし、しばし「・・・・・」黙った。 そして、「私なの」と呟いた。

 何か病気なのかと心配になり訳を聞いた。 それは幼少のころの女友達の経緯にあった。 小学校高学年までオシメが取れず、オネショをすると母親にお尻を叩かれ、オシメをされていた。 それが心の底に焼き付き、大人になった今「オシメ」に強い執着が甦り、自分でオシメでのお漏らしに快感を求めている。

 絶対に秘密にすることを約束し、そんな話しを聞いたと教えてくれた。 その女性のオムツと私の浣腸嗜好は似たところがあり、子供の頃の人に言えない秘密が、大人になった今も、自分の中に閉じ込められた嗜好となっているのだと説明してくれた。

 女友達のオシメ嗜好の話しを聞いて、私自身もその様な感覚を持っていること自覚した。 いずれも排泄系のトラウマであり、共通したものがある。 彼女自身にも若い看護婦時代の便秘と患者への浣腸が彼女の嗜好を作っていたのかも知れない。

 彼女は私に、「貴方もオムツしてみたい?」と聞く。 しかし、「NO」とは言えず、してみたい気持ちもあった。 彼女は、「今度、オムツでさせてあげようか?」と言った。

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 その次に彼女に会った時、彼女は「持って来たよ」と私の前に紙袋を置いた。 中を見ると「オムツ」が入っていた。

 「これ、オムツでしょ。」、「この間興味ありそうだったから。。。」、「それに子供の頃、お母さんにオムツでさせて貰ったんでしょ。またしてみたいかなと思ったんだ。」、「どう?オムツでしてみる?」と彼女は言うが、ドキドキしてしまった。

 浣腸されてオムツで排泄、オムツでオシッコのお漏らし。。。。考えると興奮してきた。 また、彼女にもさせたい気持ちが湧いてきた。


温泉旅行 =お尻の穴へ=

 旅館の部屋で互いに浣腸を楽しんだ。 彼女が持参したガラス浣腸器でグリセリン液を注入し、互いにお腹の中のものを排泄してしまった。 セックスはせず部屋のシャワーを浴びた。 彼女の身体と性器を綺麗にし、彼女も私にそうした。

 石鹸がついた指を彼女のお尻の穴に挿入すると彼女は感じていた。 おちんちんにも石鹸をたっぷりとつけ、彼女を背中から抱き締め乳房を石鹸がついた手で揉んだ。 興奮した彼女は声を出して身を捩る。 おちんちんが彼女のお尻に触れ気持ちいい。 再度お尻の穴に指を入れると更に感じていた。

 指を抜きおちんちんを彼女のお尻の穴に押し当てると、「ダメよ。そんなこと。」という。 「経験あるの?」、「そんなのないよ。」と言うので腰を前へ押し出すと、おちんちんは彼女のお尻の穴を押し広げた。 彼女は、「うぅ~っ!あぁ~!」と声を洩らし、浴槽の縁に両手をついた。 そのままおちんちんを押し入れた。 「だめ~っ!」と言いながらお尻を突き出してくるので、挿入したおちんちんを出し入れすると声を出して悶えた。 膣と違い締め付けが強く、私も短時間で果てた。 挿入したまま射精してしまったが、おちんちんを抜くと、彼女は床に崩れた。

 お互い初めてのお尻の穴の経験となった。 へたり込んだ彼女に「お尻は嫌?」と聞くと、「貴方ならどんなことでも嫌じゃないけど、びっくりした。」と言う。 彼女も初めての経験に興奮していた。 中に射精した精液が気持ち悪いと言うので、再び彼女にガラス浣腸器で微温湯を多量に浣腸し洗浄排泄させた。

2014年4月11日金曜日

温泉旅行

 私が出張した時のホテルに彼女が訪れるというパターンになっていた。 しかし、彼女が宿泊可能な時は、その日だけ別にツインやダブルを予約した。 彼女も一夜だけの親子兼恋人生活を楽しんだ。 そんなことを繰り返していたある日、「温泉に行かない?」と突然言い出した。 私も大賛成だった。

 早速、二泊三日のプランを立て家族風呂のある旅館を予約した。 ゆっくりと二人で温泉に入ることを想像した。

 新宿で待ち合わせ、列車に乗った親子連れ?は、駅弁を食べながら話しをし、コーヒーを飲みながらエッチな想像をした。 バスに乗り換え宿に着くと仲居さんの案内で部屋に通された。 仲居さんに親孝行ですねと言われ、返事に困った。

 夕食までに時間があるとのことで、温泉に入ることにした。 家族風呂なので別れて入る必要もなかった。 互いに恥ずかしがることもなく裸になり、露天風呂を楽しんだ。 湯の中で、彼女の陰部とお尻の穴を弄り、彼女はおちんちんを弄った。 私の膝に乗ってきた彼女を抱き締めキスをした。 そのままおちんちんは彼女の恥部に挿入しその状態を楽しんだ。 「今日は出したらだめだよ。」と言うので、挿入した状態を長く続けた。


 風呂から上がり、身体を拭って浴衣を着た。 旅館に居る間は互いに下着をつけないことで合意した。 部屋に戻る廊下で前を歩く彼女のお尻は卑猥に見える。 なんとなくパンティを着けていないのが判る気がするが、知っているからそう見える様でもあった。 部屋に戻って胡坐をかいて座ると、彼女が「浴衣の間からおちんちんが見えてるよ。」と言うので、慌てて正座した。

 夕食も終わり、少しのお酒も入り、気分良くなった二人は、夜風に吹かれに外にでた。 夜景と港が望める場所に腰を下ろし、彼女の背中に手を廻した。 丹前と浴衣の脇から手が入る。 そこから手を入れ、彼女の乳房を弄った。 彼女も気持ち良くなり、私の股間を弄った。 おちんちんが大きくなり、パンツを履いていない状態では立ち上がることが出来なくなった。

 観光客で賑わう土産物屋を見て廻り、連れだって歩くうちに川原にでた。 夜風に温泉の熱りを冷ます観光客が川原に座っていた。 家族やカップルが多い。 適当な場所の石にタオルを敷いて腰を降ろした。 旅館から懐に入れてきたイチジク浣腸を彼女の見せると、「え~っ!何で浣腸もってるの?」と言うので、「ここでして上げようと思って。」「嫌だよ。外でなんか。」と言う。 浴衣の股間を触ると濡れている。 更に刺激すると漏れる声を押し殺し、興奮していた。

 私に寄り掛かって快楽に耐えている彼女の股間から、廻りに判らない様にイチジク浣腸を差し入れた。 周りが気になり激しく抵抗できない彼女は浣腸を受け入れ、陰部を刺激されながら便意を耐えた。 やがて耐え切れなくなった彼女を茂みに連れて行き廻りの視線を気にしながら排便させた。 

 彼女は少し怒っていたが、今までになく感じてもいた。 仕返しとばかり、私にも浣腸をし、おちんちんを刺激した。 私も同じ様に彼女のウンチの後に排泄した。

出張した時の母親兼恋人

 互いに求める気持ちに対し、地理的状況と年齢差は制約条件だった。 しかし、地理的問題は私が出張の機会を増やすことで解決の努力をし、彼女もそれを望んだ。 出張で東京に行くと連絡すると、彼女も最優先で会いに来たし、私も待ち望んだ。

 年齢的な問題は、知らない人から見れば親子や叔母と甥に見えたかも知れないが、知人に会わない限り大きな問題ではなかった。 ただ彼女は不釣合いな年齢を気にしていたが、私自身が母性的なものを求めていることに安心感を持ち、自分の母性の発露先として私は良い相手だったのかも知れない。 子供の居ない彼女にとってペットだったとも言える。 出張の日の夜は、ホテルのロビーや近くの喫茶店で彼女と会うことが出来た。 会った時には一緒に食事をし、色々な話しをして僅かな時間を楽しんだ。

 夕方、ロビーで彼女と会うと先ず部屋に戻った。 それは離れていた時間を埋め、ネクタイを取ってリラックスした上で食事をしたかったからだ。 部屋に入ると自然と二人は抱き合い唇を重ねた。 そして彼女は母親の様に、「今日はウンチでたの?」と聞く。 早い新幹線に乗ったこともあり、朝排便はしていなかったし、彼女の会える日はそれを気にする必要はなかった。

 「今日はまだ。。」と言うと、「じゃ~、浣腸した方が食事いっぱい食べられるね。」と言って、バッグから浣腸器とグリセリンを取り出した。 準備をして服を脱がせてくれ下半身裸の私の足を持ち上げ膝を抱える様に言う。 そのスタイルになると彼女に全てを曝け出した状態となる。 彼女は私を自分の子供の様に扱った。 浣腸器を差し込みゆっくりと液を注入する。

 出たウンチを主治医の彼女は確認し、「ちゃんと出たね。でも固いウンチだね。前みたいにならない様にしないとね。」と言いながら衣類を整え、食事に向った。 体質なのかどうしてもコロコロした固いウンチになるのは子供の頃から変化がない。

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 食事からホテルに戻ると、子供の頃母親にした様に、愛撫ということではなく、彼女の乳房で遊ぶのが好きだった。 彼女の乳房で遊んでいると安心感があった。 彼女も別に嫌だと言わなかった。 私が彼女の乳房や乳首で遊んでいると、彼女も私のおちんちんに悪戯をし始める。 私のおちんちんが感じ始める頃、彼女の乳房は私が甘える対象から、性的に感じるものへと変化した。

 乳房を触っていると、彼女の息遣いが荒くなる。 と同時におちんちんも気持ちよくなってくる。

2014年4月6日日曜日

初めての、自分からの挿入

 ベッドに戻り、彼女とベッドに仰向けになった。 彼女の足を開きクリトリスを刺激すると「あぁ~、イイ、イイ!」と声を出して悶えた。 膣に指を入れると、「ダメ~、感じる~」・・・刺激しながら、「浣腸は?」と聞くと、「お願い、して。」と言うので彼女に手をクリトリスへ導いた。 自分で刺激し始めた。 声を出しながらオナニーをしている。 ガラス浣腸器に薬液を吸い上げ、オナニーをする彼女の足を持ち上げ、ゆっくりと浣腸を差し込み薬液を注入した。

 彼女のお尻の穴に薬液を注入し終え、彼女の陰部に刺激を与えると、「あ~、ダメ!出ちゃう~!」と言うので、トイレに座らせ更に刺激を続けた。 「あぁ~、イイ、イイ!イク~、出ちゃう!」と騒がしい。 そして私にしがみつきながら、激しく排泄した。

 彼女のお尻の穴を拭い、ベッドに連れて戻った。 「気持ち良かった?」と聞くと、「うん」と言いながら顔を隠した。 「気持ち良くなると、浣腸欲しくなるの?」、「恥ずかしいから言わないで。」、彼女の陰部を刺激すると再び感じはじめた。 声をだしながら、私のおちんちんを弄っている。

 また気持ち良くなった彼女は、「入れて~」と言い出した。 おちんちんにゴムをつけ、彼女の上に覆い被さった。 両足を持ち上げると、彼女の陰部とお尻の穴が露になった。 陰部は濡れ、お尻の穴はキュッと閉じている。 昨夜は彼女が私のおちんちんを自分の膣に挿入したが、今日は私が彼女の膣に挿入する。 興奮を覚える。 おちんちんを挿入すると、「う~、あぁ~、イイ!」と声を上げた。


 ゆっくりとおちんちんを出し入れし、互いに快楽を貪った。 彼女は私にしがみつき、おちんちんの出し入れを早めると、互いに頂点に達した。

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 正気を取り戻した彼女は、「はじめてセックスしたの?」、「初めてだよ。」、「私でよかったの?私どうだった?」、「どうだったって、比較できないから。気持ち良かったよ。」・・・彼女は抱きつき、「私も気持ちよかった。してくれる人が現れるとは思ってなかった。」

 生まれて初めてのセックスは、彼女との昨夜と今夜の交わりで経験し、またお尻の穴を刺激されることの気持ち良さも併せて実感した。 彼女にとっては、夫との死別で遠ざかっていたセックスで満たされなかった身体の熱りを私のおちんちんで満たすことが出来、これからも続いて欲しいと思っていた。 私も安心してセックスでき、また母親と同じ感覚で浣腸して貰える相手は願ってもない関係だった。 彼女にとっても、浣腸は嗜好の一つであり、浣腸をしたりされたりできる関係はそう簡単に出来上がるものではなかったと思える。

 お互いに自分が求めるものを充足してくれるパートナーに偶然巡り会い、それを継続して行きたい気持ちは共通していた。 ただ地理的問題、年齢差の問題は解決しようがない事実であり、現在の様に携帯電話やメールなどの人知れずコミュニーケーション出来る手段がまだない時代であった為、お互いの欲求をストレートにぶつけ合うのは難しかった。


共に求めるお尻の穴

 バスタオルで私の身体を拭い、自分も拭った。 風呂から出た二人はバスローブでけ身につけた。 ヘアと顔のケアをする彼女の乳房を弄り、その柔らかさが心地良かった。 冷蔵庫の冷たいものを飲み、テレビを見た。 一人での宿泊なら有料チャネルに合わせていたが、今日はニュースが流れている。

 ベッドの上に寝そべると、彼女が横に同じ様に寝そべった。 親子が恋人に変身していった。 彼女に覆い被さり唇を重ねた。 彼女の胸を揉む。 軟らかくて気持ち良い。 彼女は私のおちんちんを触っている。 耳元で、「お母さんに浣腸されるのイヤだった?」と聞く。 「イヤじゃなかったよ。して欲しいと思う時もあったよ。」と言うと、「私は?」というので、「して欲しいよ。」と答えた。

 「昨日、僕に浣腸渡したよね。」と聞くと、「恥ずかしいから、言わないで!」、「でも浣腸されたかったの?」、「うん、感じてくると浣腸が欲しくなるの。恥ずかしいけど。。。」、「浣腸されると思うと感じる?」、「うん、とっても」。 彼女の股間を触ると、少し濡れていた。 そのまま刺激すると、「あ~、ダメ~、あぁ~、う~」と感じ始めた。 彼女は身体を起こし、顔を私の股間に埋めた。 私は初めての経験である。 彼女の頭が私の股間にあり、お尻が私の方に向けられた。

 こんな姿勢で女性と接するのは、初めてである。 彼女は口で私のおちんちんを愛撫し、「私のも舐めて」と私を跨いで、陰部を私に向けた。 彼女の陰部を舐め、舌でクリトリスを刺激した。 互いに凄く興奮した。 彼女は私のお尻の穴にワセリンを塗り、私の指にもワセリンをつけた。 指についたワセリンを彼女のお尻の穴に塗った。 彼女は私のお尻の穴に指をいれ、私も彼女のお尻の穴に指を入れた。 互いに、「あ~」「うぅ~」と呻いた。 指を出し入れし、互いに舐めあった。

 お尻の穴に入れていた指を休め、お互いに顔を近づけ、長い口付けをした。 唇を離した彼女は耳元で、「お母さんみたいに浣腸してあげるね。」とベッドから降り、バッグからガラス浣腸器とグリセリンを取り出した。 洗面所で浣腸液を調合し、「浣腸しましょうね。」とガラス浣腸器とグリセリン液を持ってきた。

 横になっている私に、「今日はウンチでてないでしょ。だから浣腸しようね。」と子供扱いしてくれる。 浣腸器にグリセリン液を吸い上げ、横に置いた。 膝を抱える様に言われ、お尻の穴にワセリンを塗られた。 そして、静かに浣腸器を差し込み、薬液をゆっくりと注入した。 序々に便意が起こり、注入が終わることには、漏れそうになった。 イチジク浣腸より薬液が多いからだろうか。 浣腸器を抜くとティッシュでお尻の穴を押さえながら顔を寄せ口付けをした。

 「我慢するのよ。」と言いながらおちんちんを刺激した。 お尻に神経が集中するに従って大きくなっていたおちんちんが小さくなり、「もう、ダメ。」というとトイレに連れて行ってくれ、便器に座った。 薬液と共にガスとウンチがでた。 「全部出た?」と聞きながら、お尻を拭ってくれた。

薬局の女性との交際の約束

 彼女は、私の既往症である「脱腸」について気にし、また関心を持った。 それは再発の可能性が捨てきれないことや、医療に携わった人間としての関心なのだろう。 彼女の知りたい気持ちに応えるために仔細に説明した。

 症状として、幼稚園年長時におちんちんの右側に腸の迫り出しが起こり、母親が浣腸しようとして発見したこと、 発見が早かったため矯正治療となったこと、 元々便秘症であったことが原因と疑われたこと、 脱腸帯で矯正治療をほぼ小学校高学年まで行っていたこと、 下腹部に力を入れたり排便で気張ることが制限され、便秘と相俟って浣腸に頼る排便をしていたこと、 発症の不安から自宅以外での排便を躊躇っていたこと、 中学校時代に再発したこと、 長期であったことから思春期になっても母親の浣腸を受けていたこと など。

 聞いていた彼女は、「大変だったんだね。貴方よりお母さんが。。。じゃ~、これからは私がお母さんの代わりをしてあげるね。」、「うん」、「その代わり、それ以外の時は恋人になって!」、「うん、嬉しいよ。」。 彼女を抱き寄せ、唇を合わせた。

 「私以外の女性に浣腸されたり、セックスしたりしないよね。おばさんだから、心配だよ。」、それと「脱腸は、大人になっても、再発の可能性がなくなった訳ではないから、気をつけた方がいいよ。会った時は、ちゃんと診てあげるね。」

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 明くる日の夕刻、私がホテルに到着すると彼女は、既にロビーに居た。 他の人には、母親が息子を待っていた様に見えたかもしれない。 誰も恋人とは思っていないだろう。 でも私たち二人にとってはどうでも良かった。

 他の人が思う様に、母親である彼女は、「何が食べたい?東京に来てるんだから、江戸前の寿司にしようね。」と、聞いておきながら、勝手に決めている。 寿司は好きなので異論はなかった。 彼女に連れて行かれるまま寿司屋の暖簾をくぐり、彼女の勧めるネタを食べた。 会社での状況なり、隣りの席の人は親子の会話を疑うことはなかったと思う。 胃袋を満たし、少しお酒も入った。

 ホテルの部屋に戻り、ベッドに寝そべった私に、「そのまま寝たらダメでしょ。」と母親である彼女は言う。 何もしなくても、彼女は私の服を脱がせ、ハンガーに整理した。 自分も服を脱ぎ、下着になっていた。 昨夜の出来事だけで、親子と恋人の2つの関係が一挙に出来上がり、二人の間に壁はなかった。

 バスタブに湯を張り、私のパンツを脱がせながら、今日はウンチ出たかと聞く。 子供の頃に母親に風呂に入れて貰った頃を思い出す。 「昨日の浣腸で出たよ。」と言うと、ウンチは毎日しないとダメと叱られた。 自分も裸になって、「後で浣腸して上げるからね。」と風呂に入ると引っ張られた。

 彼女が私の身体を洗ってくれ、特に股間やお尻は丁寧だった。 私も彼女の乳房や股間を丁寧に洗ってあげた。

薬局の女性の身の上

 食事をしながら色々な話しをした。 互いに相手のことを何も知らない筈であるが、気持ちは親子か、何年も前から付き合っている恋人同士の様に思える。 放置された使用済みのイチジク浣腸が、先ほどまでここで行われていたことを物語っている。

 それを見ていると、互いに恥ずかしい気持ちになった。 そして、それぞれが自分が浣腸の虜になってしまったこれまでの経緯を思い起していた。 互いに異なる世代、異なる人生を歩んでいるのに、同じ「浣腸」と言う嗜好に辿り着いたのは、奇遇なのか。 お互いに相手が浣腸に辿り着いた道程を知りたかった。

 彼女は、自分が44歳であることを教えてくれた。 私も自分が24歳だと言った。 年齢差は20歳である。 私が生まれた時に彼女は成人したことになる。 はっきり言って親子ほどの年の差を認識した。 母親よりは若いが殆ど変らない年齢が私に安心感を与えた。 彼女は看護婦をしていて結婚し、不幸にも夫と死別し、現在は実家に戻ったが、両親が営んでいた薬局を引継ぎ、自分はこの薬局で生活しているらしい。 子供は居ず現在は独りぼっちの状態だと打ち明けてくれた。 再婚の縁もなく、火照る身体を持余しているのかも知れない。

 彼女は、私に初めて浣腸した時、私のおちんちんが反応したのが判っていた様だ。 それで彼女自身も身体が熱くなり、その日は自分の火照りを持余し激しくオナニーをしてしまった。 二度と会えると思っていなかった私が偶然にも現れた時には、自然と身体が反応し、こんなことになってしまったと恥ずかしそうに話した。

 彼女の浣腸に関する切っ掛けも、聞くことが出来た。 切っ掛けは、私と同じ便秘解消であるが、原因は戦争中という生活環境と看護婦という職業環境らしい。 立ち仕事であったことと、不規則な仕事が原因で便秘になることが多く、浣腸を使うことが多かったと話していた。

 死別した夫は入院していた患者で、親しくなって結婚したとのことであった。 看護婦と患者という関係で、互いに好意は持っていたらしい。 その患者は、病名までは聞かなかったが、便秘になり彼女が治療として浣腸を施したところ、おちんちんを勃起させた。 彼女は冗談で「溜まってるんですね。」と言うと、患者は彼女の手を握った。 彼女もその患者のおちんちんを見て少し興奮を覚え、射精まで処置した。 それが二人の関係を急速に近づけたらしい。

 その患者は、その後も浣腸されることを求めた。 その後の夫婦生活を含め、彼女の浣腸嗜好を作り上げたのだと思う。 しかし個人的なことに立ち入るのは好ましいことではないし、私にとっては彼女が浣腸嗜好を持っているだけで充分有り難かった。 それに彼女が看護婦だったことは医療面で心強い限りである。

薬局の女性に浣腸

 私のおちんちんを綺麗にし終えた彼女は下半身裸だった。 彼女の陰部を触ると凄く濡れていた。 そのまま彼女の陰部を色々刺激した。 「あぁ~、イイ、あぁ~」と激しく声を出した。 横にあったワセリンを指に取り、お尻の穴に塗った。 そして指を入れると、「うぅ~」と呻き、指を出し入れすると「イイ、イイ、あぁ~、もっと」と言いながら、私にしがみついた。

 お尻の穴を刺激され、声を立てながら、湯に浸っている浣腸を取り私に渡した。 「浣腸するの?」と言うと頷いた。

 キャップを取り、彼女の足を持ち上げた。 お尻の穴が綺麗だ。 浣腸を差し入れると、ため息が漏れ、注入すると、「あぁ~」と声がもれた。 浣腸を抜き沢山のティッシュでお尻の穴を押さえながら陰部を刺激した。 激しく刺激し、膣に指を出し入れすると、「あぁ~、イイ、イイ、イク、イク~、強く押さえて!」というのでお尻の穴をしっかり押さえた。 そして膣に二本の指を入れ、激しく出し入れした。 「あぁ~、いく~」私に抱きつき身体を震わせた。 ティッシュに浣腸液を漏らしていた。

 彼女を起こし、トイレに連れて行くと、扉を閉める間もなく、私が見ている前で排泄してしまい、「恥ずかしい!」と顔を手で覆った。 お尻を拭い、彼女を連れ部屋に戻った。

 彼女は畳に座り込み、「こんなことになって、どうしよう! 恥ずかしいよ。私のこと嫌いになった? 変態みたいな女、嫌いでしょ?」と手で顔を覆ったままだった。 彼女を抱き締め両手を顔をから離させると、目は下を向けてしまった。

 「君も浣腸が好きなんだね。」と言うと目を上げ、私を見た。 「こんなおばさんで、浣腸好きだなんておかしいよね。もう、会いたくないでしょ。」、彼女の顔を両手で引き寄せ、唇を重ねた。 「明日、ホテルへ行ってもいい?」、「待ってるよ。」、「こんなおばさんでも会ってくれるの?嬉しい!」と抱きついた。

 二人とも食事をしていなかったことに気付き、簡単な食事を用意してくれた。 そして親子の様に食べ、話しをした。

薬局の女性がおちんちんを自分に挿入

 トイレから戻ると、彼女は同じ場所に座っていた。 「出ましたか?」、「はい」、「変なことしたから、怒っちゃいましたか?」、「別に、でもダメですよ。」と言うと、「ダメですか?」と言う。 返す言葉がないので代わりに彼女に軽い口付けをした。 彼女は私に抱きつき、耳元で「もう一度!」と言って、私を先ほどと同じ様に、座布団に押し倒した。 そしてお尻の穴にワセリンを塗り、指を入れた。 おちんちんは勃起した。 お尻の穴の指を出し入れされると気持ち良かった。 おちんちんが刺激され、余りの気持ち良さに、母親にされたことを思い出した。 おちんちんに電気が走り、射精してしまった。 「大丈夫よ。」と言いながら始末してくれた。

 私の横に沿って寝、私の手を自分の胸に導いた。 「女性経験は?」と聞くので、首を横に振った。 ブラジャーを触っていた手を上に押し上げたため、ブラジャーが上にずれ、乳房に触れた。

 「乳房は?」というので、「母親のを。」と言うと声を出して笑った。 彼女の乳房は母親と同じ様な膨らみで気持ちよかった。 乳房を弄っていた手を彼女は自分の股間に導いた。 パンティの上から濡れているのが判る。 「脱がせて。。」と言うので、パンティを脱がせた。 スカートが捲くれ上がり黒い陰毛が露になった。 脱がせたパンティが濡れていた。

 彼女は私の手を取り、ここが気持ちいいのと言った。 後でそこがクリトリスであることを知った。 刺激すると激しく濡れてきた。 彼女は少し起き上がり、私のおちんちんを、また刺激した。 それに応えて大きくなった。

 大きくなったおちんちんを刺激した。 私の手は彼女の陰部を刺激していた。 クリトリスから少し下に移動すると指は穴に吸い込まれた。 「あぁ~、イイ」と声がもれた。 そして彼女は私のおちんちんにゴムの帽子をかぶせながら、「初めてなんでしょ。良いの?」と言う。 「何が?」、「私みたいなおばさんで。。。」、私は彼女の身体を引っ張った。 彼女は身体を起こし、私をまたぐと、勃起したおちんちんの上に腰を降ろした。 私のおちんちんは、彼女の穴にニュルッと吸い込まれた。 彼女が腰を上下に動かすと、私の全身に電気が走った。 気持ちがいい。 彼女は何度か腰を上下させ、声を漏らした。 彼女の強烈な刺激に、「ダメ~、でるよ。」と言った。 その瞬間、おちんちんは脈打った。 彼女はおちんちんを銜えたまま、私に覆いかぶさった。 「ごめんね。」と耳元でささやいた。 彼女の顔を両手で持ち、唇を重ねた。 長い口付けをした。 「初めてなんだね。私で良かった?」「ううん、ありがとう」。 彼女は、強く抱きついた。

 コンドームを取り、温かい蒸しタオルで、綺麗に拭いてくれながら、「明日も泊まるの?」と聞く。 明日は帰る予定だったが、「うん」と答えた。 「ホテルへ行ってもいい?」、「大丈夫だよ」と言った。

翌日も薬局で浣腸される

 残りの出張での仕事は、お陰で快調に進んだ。 最後の宿泊の夕方、このまま東京を離れることに心残りがあり、帰路、何故か足は薬局の方に向いていた。 薬局に近付くとドキドキした。 薬局が見えたところで女性が店の表で掃除をしていた。 気付かれまいと手前の辻で曲がろうとしたとき、「あら!どうしました?」と見つかってしまった。 「いえ、東京を離れる前にお礼を言おうかと思って。。。」とごまかした。 「暇ですからお茶でも如何ですか?」と誘われた。 本心会いたかったので、「はい」と誘われるまま近付いた。 店に入り先日のお礼を言うと共に、仕事のことなど雑談をした。 コーヒーが出され、脱腸のことなど会話が続いた。

 長居に気付き、帰ろうとすると、「今日は早めに店をしめますから。」というので、慌てて礼を言って出ようとした。 「いいんですよ。もう一度浣腸してあげますから。」とビックリする言葉が飛んできた。 私が帰ろうとするのを遮り、ガラス戸の鍵を掛け、カーテンを閉めた。 「今日は両親は親戚へ行っていて、帰らないから安心してください。」と先日浣腸して貰った部屋に通された。

 奥から、同じ様に浣腸を湯に浸して持ってきた。 「じゃ~、脱いでください。」と同じ成り行きとなり、ズボンを脱いだ。 「パンツもよ。」と言われそうした。 四つん這いになるのかと考えながら、裸のお尻で畳に座っていた。 座布団が置かれ、そのまま仰向けに寝る様に言われ、上半身を押されそうした。 おちんちんが彼女に丸見え状態になった。 膝を抱える様に言われそうした。

 お尻の穴にワセリンが塗られ、彼女の指が挿入された。 その瞬間おちんちんがピクリと反応した。 「気持ちいい?」と言われ、頷いた。 指を抜き、イチジク浣腸が挿入された。 その時、おちんちんは勃起した。 「あら!」と言いながら浣腸を注入した。 浣腸を抜くと勃起したおちんちんを手で触った。 少し刺激されかなり興奮した。 「ダメですよ」と言うと、「そうですね。」と言っている間に我慢できず、トイレに行った。

薬局の女性に浣腸されて

 お尻にティッシュを当ててくれ、充分我慢する様に言われた。 四つん這いから、お尻を押さえたまま畳に横になった。 「こんな風になったのは初めてですか?」という。 確かに自覚している範囲では初めてだったので、「はい」と答えた。 「腸が丈夫なんですね。」と言う。 「男の人は普通腸が弱いから便秘になり難いんですよ。水分の吸収が良いんですね。溜めると固くなって出口を塞ぐ様になるので早めにウンチしないと、また成りますよ。」と説明してくれた。

 考えてみると母親はそれを知っていたのかもしれない。 だから、直ぐに浣腸して出してしまう様にしていたと思い当った。 話しをしているうちに我慢の限界にきたのでトイレに案内され、排泄した。 多量のガスと共に固いウンチが出て、あとは溜まっていたものが一挙に出た。 おちんちんの先は興奮で液体が溢れていた。

 トイレから出てくると、「出ましたか?」と聞かれ、「はい、お陰さまで。」と礼をいった。 パンツを履こうとすると、「大丈夫か診ておきますから」と私が立っている状態で、私のお尻の穴に冷たいものを塗り、指を入れてきた。 入れた指を少し動かし、「痛みはありますか?」、「いいえ」。 彼女は指を抜いて拭った。 これで大丈夫ですねと服を着る様に言ってくれた。

 お茶入れますからと、温かいお茶をだしてくれた。 そして、「浣腸はよく使うんですか?」と聞かれ返答に困った。 「浣腸をして充分我慢できていたので、浣腸になれている様に思ったので。」と付け加えられ、隠すのも変だと思い、「実は子供の頃に脱腸になって、ウンチで気張ることが出来ず浣腸されていました。」と答えた。 「それは大変でしたね。今は大丈夫なんですか?きっちり治さないと脱腸はクセになりますから。大人の人でも脱腸になっている人も居ますよ。」、続けて「それなら、ちょっと浣腸がクセになっていて自力の排泄が弱っているかも知れませんね。 今日の様にならないうちに早めに浣腸して出した方がいいですよ。」とアドバイスしてくれた。 「昨日の浣腸は使ったでしょうから」と新たな浣腸を袋に入れてくれた。

 代金を払い、礼を言って店を出ようとすると、「また、困ったら来てください。おだいじに」と言ってくれた。


浣腸しても出ず、再び薬局へ

 朝目覚めたがお尻の気持悪さは余り改善していなかった。 再チャレンジと思ったが再度の浣腸は思い止まった。 浣腸して更におかしくなったら困るので、トイレに座って気張ってみた。 脱腸の不安から気張り過ぎないのが習慣になっていた。 やはり出ない。 仕事に遅れるのも問題だと思い、諦めて仕事に向った。 仕事の間、不快感は続いた。

 夕方、早めに仕事を切り上げ、昨日の薬局の女性の感じ良さをあてにして、相談しようと薬局に向った。 意を決してガラス戸を開けた。 昨日と同じ様に中年の女性が顔をだした。 私を見るなり、「あら!どうしました?」と言った。 「ちゃんと出ましたか?」と言うので、「いいえ、お薬だけ出て、肝心のものが出ず、気持ち悪い状態なので何か良い方法があるかと思って。。。」と説明した。 「あら!困りましたね。溜めるからですよ。」と言う。 と言われてもどうしようもない。 「浣腸してあげますよ。」と信じられない言葉が聞こえた。 「えっ!」と言うと、「私、元々看護婦ですから大丈夫ですよ。遠慮しなくてもいいですよ。」、女性の顔に母親の顔が重なった。

 「じゃ~、早目に店を閉めますから、少し休んでてください。」と中に通された。 と言っても店の直ぐ横手の小さい部屋だった。 「今日は両親は遅いので、気にせず横になってください。」の言葉に甘え、そうした。 放置されている時間は長く感じたが、カーテンを締める音と戸の鍵を掛ける音がして彼女が現れた。

 「気分はどうですが?今準備しますから。。。」と中へ消えた。 暫らくして、「服を脱いでください。」と言いながら、湯に浸したイチジク浣腸を持って現れた。 服を脱がずに居ると、「脱いでくれないと処置できないですよ。」と看護婦に変身している。 ズボンを脱ぎ、パンツだけになると、「汚れるといけないのでパンツも取ってください。」と指示され、パンツを脱いで畳に座り込んだ。

 「四つん這いになってください。」と言われても、下半身裸では素直になれない。 身体を押されて四つん這いになった。 明らかに、お尻の穴やおちんちん、タマタマが丸見え状態である。 「ちょっと我慢してくださいね。」と言ってお尻の穴に冷たいものが塗られた。 と同時にお尻の穴に指が挿入された。 そして指をお尻の穴の中でグリグリ動かした。 少し痛みがあった。 彼女は抜いた指を拭い、「浣腸しますよ。」と言って、湯で温めたイチジク浣腸を2ヶ注入した。 おちんちんが少し反応していたが気付かない振りをした。

薬局で浣腸を買って

 薬局の女性は、「じゃ~、浣腸されたら直ぐにスッキリしますよ。使われたことありますか?」と私に代わって言ってくれた。 「えぇ、以前に・・・」と曖昧な返事をした。 「出なかったら2つ使われても大丈夫ですから。少しお湯で温めたら効果ありますよ。」、「じゃ~2箱ください。」と言うと2つ紙袋に入れてくれた。 代金を支払っている時に、「浣腸はクセになるかもしれませんが、身体に害は少ないですから。」と説明を加えてくれた。 「おだいじに!」の言葉に送られ、薬局を後にした。

 途中、夕食を食べホテルに向った。 夕食を摂ったことで更にお腹は重くなった。 ホテルの部屋に入り、服を脱ぎリラックスをして浣腸しようと考えた。 久し振りに浣腸しようと考えると、おちんちんが大きくなってくるのを感じ、パンツが前に膨らんだ。 ウンチを出すことと同時に、久し振りに浣腸で楽しみたいと思った。

 テレビをつけ、有料チャネルを選んだ。 画面にいきなり騎乗位で声を立てている女性の姿が映し出された。 それを見ながらパンツを脱ぎ、浣腸を準備した。 ティッシュを横に置きベッドに寝た。 母親にされていた時の様に両足を上げ、股間より浣腸をお尻の穴に差し入れた。 テレビの画面と浣腸を差し入れたことで、おちんちんは完全に固くなっている。 薬液ゆっくり注入した。 テレビの画面と母親にされた浣腸、母親にした浣腸、従姉妹との浣腸などが頭の中を駆け巡り、浣腸をお尻に差し込んだまま、おちんちんを刺激していた。

 手が自然と激しく動き、射精しそうになったのでティッシュをおちんちんにかぶせ、刺激を続けるとティッシュに射精した。 精液で濡れたティッシュを取り、浣腸を抜いた。 お尻をティッシュで押さえ余韻が治まる間我慢した。

 本来の目的である排便のため、便器に腰を降ろした。 薬液と共に溜まったウンチが出る予定であったが、薬液は出たものの中身が出ない。 オナニーの快感は消え去り、焦りが出てきた。 もう一度、浣腸した。 イチジク浣腸を2ヶ注入したが結果は同じであった。 お尻の辺りに圧迫感だけが残った。

 困ったなと思ったが、夜も更けてきたので明朝再チャレンジと思って、その日は風呂に入り、ベッドに横になった。

社会人になって、そして出張

 社会人になってからも、状態は殆ど変ることはなかった。

 仕事も時間の経過と共に守備範囲が増え、出張することも多くなった。 特に会社の拠点の状況で、東京や神奈川方面へ出向く機会が増え、毎週の様に新幹線に乗ることもあった。

 子供の頃からの経緯が原因し、自宅以外で排便することを無意識に拒否していた為、ホテルのトイレや出張先の事務所のトイレでウンチをすることが難しかった。 そのため、出張の荷物にはイチジク浣腸を忍ばせていることが多く、朝ホテルを出発する前にホテルで浣腸して排便することが多かった。

 ある時の東京への出張の時、イチジク浣腸を荷物に加えるのを忘れた。 必要なら現地の何処かの薬局で買い求めれば良いという軽い気持ちであった。 出張2日目の朝、ホテルのトイレに座ったが、ウンチが出てくれる気配がない。 困ったなと思いながら仕事に向った。 昼食を摂った後、お腹の張りを感じたが大したことはなかった。 仕事が終わりホテルに向う電車の中で、今夜か明朝出なかったら拙いなと思い、薬局で浣腸を買うことにした。 勝手が判らない土地で浣腸を買うのは気後れするものである。 何故か人通りが少ない辺りの薬局を探し、意味なく歩いていた。

 あてもなかったが賑わいが途絶えた辺りに「薬局」の看板を見つけた。 古めかしい薬局であったが、浣腸を置いていない薬局はないだろうと思い、表のガラス戸を開き中へ入った。 戸の開く音で中から中年の女性が出てきた。 「何がご入用ですか。」との言葉に素直に「浣腸ください。」と言えずにいた。 恥ずかしさがあり、「実は出張でこちらに来ていて便秘で困っています。」と持って回った説明をし始めた。

 素直に浣腸と言えば良かったのだが、「便秘」と聞いた薬局の女性は、棚から何種類かの飲み薬を取り出し、説明してくれた。 「便秘薬は何時効いてくるか判らないし。。。」などとゴチャゴチャ言うと、期待する単語が相手の口から発せられた。

浣腸オナニー

 自分で浣腸する様になった高校時代は、浣腸と性的なことが強く結びつき、オナニーのために浣腸を使う様になっていた。 お尻に浣腸を差し込んだまま、オナニーをすることが度々だった。 従妹に浣腸したり、されたりしたこともあって、自分だけではなく、女性に浣腸したいという願望も強くもっていた。 しかし、オナニーと浣腸が結びついただけで、女性に浣腸する様な機会に恵まれることはないまま、高校から大学への日々が過ぎていった。

 大学で、同好会活動などで外泊をしたり、キャンプをすることも多くなったが、便秘症は治った訳ではなく、母親も外泊したり、キャンプをするときは浣腸を持参する様に言った。 それもあって、いつも浣腸を持ち歩くのが当たり前になっていた。 特に、脱腸の所為で、自宅以外でウンチをすることを本能的に避ける様になっていたことが、自宅以外ではトイレに座っても排泄できない習慣がついてしまった様に思える。

 キャンプなどでは、野山でテントを張ることが多く、トイレなどないため、草むらで浣腸して排便することもあったのは、変な思い出の一つである。

 そんな学生生活も終わり、ほかの人と同じ様に、会社に就職して、社会人生活を歩みはじめた。

2014年4月4日金曜日

大人になった互いの性器

 従姉妹は、置いてあるイチジク浣腸の箱を取った。 「これ開いてるよ。使ったの?どうだった?」というので、「別に、いつもの通りだよ。」と言った。 残った1つを取り出し、「お尻出して!」と言った。

 とは言え、お互い子供の頃とは違い、そう簡単にパンツを脱げる年頃ではない。 お尻出して!と言われても躊躇していると、「早く~!」と言う。 仕方なくズボンを少し下ろしてベッドに横になった。 「パンツ下ろすよ。」とパンツに手をかけたので全部脱がされない様に手で押さえた。 彼女はお尻の穴が見える位置で、お尻の穴に軟膏を塗った。 「入れるよ。」と浣腸を挿入し、薬液を楽しみながらゆっくりと注入した。 浣腸を抜くと、ティッシュでお尻を押さえた。 「どう?ウンチしたい?」と聞くので、少し我慢してトイレに行った。

 戻ってくると彼女はベッドに腰を掛けて待っていた。 「どう?出たの?」、「うん、次は君だよ。」、「私、しなくて大丈夫だよ。」、「約束じゃないか!」、「浣腸するだけよ。」との会話で、彼女をベッドに寝かせた。 覚悟をした様で、横になってじっとしている。 もう1箱のイチジク浣腸を取り箱うあけた。 浣腸を取り出し、彼女のスカートを上げパンツを下ろした。 膝を曲げる様にすると彼女の陰部が全部見えた。 「浣腸だけよ。」、「判ってるよ。」と言って彼女のお尻の穴に軟膏を塗った。 彼女の身体が大きくピクリとした。 「入れるよ。」と言って浣腸を挿入した。 「いや~っ!」と言ったがそのまま続け、薬液を注入し、浣腸を抜いた。 ティッシュで押さえると、彼女は自分の手でお尻を押さえた。

 彼女が恥ずかしそうな顔でトイレから出てきた。 そして「もう一つ、約束だよ。」と言うので、仕方がないと思い、「見たらダメだよ。目を瞑って」と言って彼女の手を子供の頃の様にパンツの中に導きいれた。 子供の頃とは違うおちんちんの感触に一度は手を引っ込めたが、再び手を入れてきた。 おちんちんを撫でていた手が、おちんちんを掴んだ。 私も彼女の股間をパンティの上から触った。 何も言わないので、パンティの中へ手を入れた。 毛も生え大人の性器になっていた。 目の前の彼女の唇に私の唇を重ねた。 彼女は目を開いたが何も言わず、おちんちんを触っていた。

 「大きくなってきた!」と彼女が言った。 「仕方がないよ。」と言葉を交わしていると突然階下で物音がしたので、慌てて手を引っ込め身繕いした。 彼女は部屋から出て行き、私は浣腸の始末をした。 階下で、彼女は平然と買物から戻った母親と喋っていた。 私は階下に降りることすら躊躇った。

子供の頃に性器を触りあった従妹と

 夏休みのある日、従妹が遊びにきた。 その従姉妹は、以前泊まりに来た時、調子が悪くなり、叔母と母に浣腸された。 その時、私も浣腸され、従妹と私は、それぞれが浣腸される様子を目の前で見てしまった。

 私は女の子が浣腸される姿が脳裏に焼きつき、従妹の脳裏には私のおちんちんが焼きついていた。 その夜、私と従妹は一つ部屋に寝た。 互いに初めて見たものに罪悪感を感じつつ、同時に更なる好奇心を誘った。

 照明が消された部屋で、浣腸のことを話し、互いに浣腸を何度となくされていることが判った。 それは自分だけでない安心感と更なる相手への興味の入り口でもあった。

 彼女は、初めて見た男の子のおちんちんを確認したがった。 そして、私にその要求をぶつけた。 私もそれに応じ、彼女を自分の布団に誘い、私のおちんちんを彼女の手に握らせた。 彼女は長く私のおちんちんを弄り、私の脱腸帯も実感を持って触った。

 お返しに彼女の性器を触らせてくれた。 女の子のオシッコの出るところを暗がりで弄った。 従妹は、触られるのがいい気持ちだと言っていた。

 互いにそんな記憶がある者同士、再び二人だけで会話をする機会が訪れた。 叔母と従妹が来たその日、ケーキとお茶の団欒が終わると、彼女は一人で私の部屋を覗きにきた。  「何してるの?」と言いながら入ってきたので、「叔母さんたちは?」と聞くと、母親と買い物に出かけたと言う。 彼女は行きたくないと言うことで、家には彼女と私だけになった。 彼女は私の部屋に入って椅子に座り、脱腸は治ったのかと聞いてきた。

 脱腸帯はもう着けていないことを話すと、「浣腸は?」と聞く。 「時々」と返事すると、「私も・・・」と言いながら部屋を物色していた。 そして、ベッドの脇の棚にあるイチジク浣腸を目敏く見つけた。 「あれ浣腸?」、「そうだよ」、「自分でするの?」、「して貰う時もあるよ。自分でも出来る様に、お母さんが置いたんだよ。」というと、「いいなぁ、私はして貰ってるよ。」と浣腸の方を見ていた。

 「私が浣腸してあげようか?」と突然言い出した。 躊躇ったが、されたい気もした。 「君がしたら僕もするよ。」と言うと、「いいよ!」と変な合意が成立した。  「その代わり、また昔みたいに触らせてね。」との凄い条件提示があり、まず私が浣腸されることになった。


2014年4月3日木曜日

検診

 高校へも進学し、脱腸帯を使うこともなくなった。 虚弱な体形も改善され、骨格からも脱腸再発の不安はなくなった。 それは自分でそう思ったのではなく、以前からお世話になった医者の診断だった。

 安心して日々を過ごすため、大丈夫だとは思ったが、検診を受けることになった。 その頃はまだ腸内検診用のファイバースコープなどなく、レントゲンだった。 女の先生は昔のままだった。 下半身はいつもの様に脱ぎ、全部を曝け出した姿で診察台にいた。 レントゲン撮影のためお腹の中を綺麗にする必要があったのだと思うが、以前の様に浣腸と高圧浣腸をされた。 子供の頃と違って、おちんちんを見られているのは恥ずかしい。 それだけでなく浣腸をされ、排便も見られていた。 横で母親も見ていた。

 そんな状態で、ほぼ再発しないと診断を受けた。 安心して日常生活を送ることが出来るのが嬉しかった。 母親も喜んでくれた。 母親は、診察が終わると、子供の時の様にパンツとズボンを履かせてくれた。

 母親は、脱腸の不安が払拭され、私の性機能にも障害がないことが確認できていたので、ホッとしていた。 医者からの帰り道、「後、便秘が治ればいいのにね。」と言っていた。 「でも、またウンチでなければ浣腸してあげるよ。」と言うので、「うん」と答え、便秘が治らない方が良いと思った。

脱腸帯を外すことができた

 中学2年生も終わりの頃、ようやく脱腸帯を外すことができた。 長年脱腸帯をつけていたことと、脱腸再発の不安を常に感じていたことは、自宅以外の場所での排便を躊躇する潜在意識を形成した。 母親が私に浣腸する回数もじょじょに減ったが、便秘症がなくなったとは思っていなかった。 私の部屋には、いつでも使える様に母親がイチジク浣腸を置いてくれていた。 その頃は、大人用のイチジク浣腸で2ヶ入りの箱が5~6個はいつも置いてあった。

 そして横に「して欲しい時は言いなさい」とメモがあった。 母親は私が自分で浣腸するよりも母親にされるのが好きなのを知っていた。

 ある休みの日、布団の中でダラダラしていた。 そして部屋に置かれたイチジク浣腸を取り出しお尻に差し込んだ。 少し注入し、その感覚を楽しみながら、おちんちんを触っていた。 手を激しく動かしている頃、足音がした。 多分母親が起こしに来て、私のオナニーを見てしまったと思う。 そのまま声を掛けずに戻ってしまった。 手を止めず射精した。 そして残った浣腸液を注入し、トイレへ行った。

 そんなことを見た後も、母親はいつも「お腹の調子はどう?いつでも浣腸して上げるよ。」と言った。 本当は浣腸して欲しい気持ちがあったが、だんだん自分でする回数も増えた。

 母親が「どう? してあげるよ。」と言ったときには、「うん」と言って待っていた。 その方が、お互いに気持ちが通じ合っている様に感じたし、それを望んでいた。 そんな時、察しの良い母親は、横向きに寝させ、後ろから浣腸を挿入してくれた。 死角になったところで、おちんちんは変化しているのは判っていたと思う。

母親の添い寝

 脱腸が再発し、母親の浣腸が続いていたころ、また風邪でダウンした。

 
やはり、結構熱があり、寝込んでいた。 一日目の夜、熱が下がるどころか結構高熱になった。 医者が近くだったので往診を頼んだらしい。 お医者さんと看護婦さんが来た。 熱を測り、聴診器で診察。 それからお腹の触診、案の定浣腸されることになった。 その頃は浣腸は解熱の特効薬の様になっていた。 看護婦さんに下半身を脱がされ、横向きに寝さされた。 脱腸帯がとても恥ずかしかった。 やがてお尻にガラス浣腸器が挿入された。 無事、排便も終わり、その後、お尻に注射をされた。 お医者さんは、明日も熱が下がらなければ、もう一度浣腸する様に母親に告げて帰っていった。

 朝を向え、無事熱は殆ど引いていた。 母親が、「良かったね」と言って食事を用意してくれた。 食事を済ませて、また寝てしまった様に思う。 昼頃、母親が体温計を持ってきた。 久し振りに肛門体温計だった。 熱は殆ど下がっていたと思う。 昼食を済ませ、寝床で横になっていると、「もう大丈夫かな?」と母親の手が額にあてがわれた。

 そして、「また熱がでるといけないから、もう一度浣腸しておこうね。」と言って、準備をしに行った。 起きられると思ったが、浣腸されることはまんざらでもなかった。 暫くしてガラス浣腸器を持って現れた。 いつもの様に布団の裾が捲くられ、パジャマのズボンが脱がされた。 以前の射精のこともあり、恥ずかしさがあったが、変な期待もあった。 浣腸器がお尻の穴にあてがわれると、それだけで反応してしまったと思う。 気付いた母親は、「あらあら!」と言って浣腸の手を止めた。

 治療と云うより、遊び心が湧いてきたのだろう。 お尻の穴に何かクスリが塗られたと思ったら、指が挿入された。 余計に反応してしまった。 冗談半分におちんちんをはじいた。 また指をお尻の穴に入れて、「気持ちいいの?」と言った。 そして、浣腸された。

 今日はこのままトイレに行くのかと思っていたら、お尻の下に何かが敷かれた。 そして、おちんちんに母親の手を感じた。 浣腸の刺激とおちんちんの刺激に気持ちが高ぶって行った。 暫くして気持ちの良さが頂点に達し、一気に射精してしまった。 同時にお尻から浣腸液が溢れ出た。 お尻の下は、どうも急ごしらえのオムツだった様だ。

 そのままウンチも出てしまい、全てが終わった。 後始末が終わって、母親は添い寝をしてくれた。 恥ずかしさもあって、母親の胸に顔を埋めて寝てしまった。

 暫くして、母親の荒い息遣いに目が覚めた。 当時母親は日常的に着物を着ていた。 着物の前が開いて、母親の手は股間にあった。 私が目覚めたのが判って、手を止め、「あら、起きたの? まだ熱あるかな?」と手を額に置いた。 そして、「熱は下がったみたいね。 どう、スッキリした?」と聞いてきた。 「うん」と答えると、「また、今度ね。」と私の手を取って自分の胸に当て、そのまま襟元から中に導いた。
 昔から母親の胸を触るのは幼い時から好きだった。 しばし、母親の体温で遊んだ。 その手を取って、何故か股間に導いた。 「あなたは、ここから生まれてきたのよ。」と。 凄く温かい股間は何故か濡れていた。 何がどうなっているのか判らず、暫く触った。 初めて大人の女性を触った。 母親の息が荒くなった。 「それ以上だめ!」と手を避けられた。

 大人になって思い返すに、それが母親なりの性教育だったのかもしれない。

脱腸の再発症

 中学校のある日、学校でいつもの様に過ごしていて股間に少し異常を感じた。 その頃は、気にはなっていたが、脱腸帯は身に着けていなかった。

 下校し、母親に股間の異常を話した。 母親は心配が現実になったかと、とても驚きズボンと下着を脱がせ確認した。 幼い時ほど酷くはないが、どう見ても脱腸症状と思えた。 それまで使用していた脱腸帯は身体には合わず、以前世話になった医者に診察して貰った。 小学校高学年まで定期的に診察に通っていたが、6年生になってからは、大丈夫との診断もあり、検診には行っていないし、脱腸帯も外していた。

 久し振りに訪れた私を先生は覚えており、再発した様だということで、慌てての診察となった。 便秘症状は相変らず続いていたため、排便の様子が細かく聞かれた。 自然排便の程度、浣腸の頻度、便の様子、排便時の気張り方など。。。。

 脱腸部分は、お尻の穴から内診することはできない。 脱腸を発症している部分の外からの触診である。 昔ほどではないが、僅かに腸が迫り出していた。 久し振りに浣腸と高圧浣腸の治療を受け、排泄できる全てのウンチを、前と同じ様に先生と看護婦さんに見られながら排泄した。 母親の浣腸では、おちんちんが大きくなったが、ここでは浣腸されても勃起しなかった。

 脱腸帯は、その頃にはかなり進化していて、いちいち採寸して特注する必要はなく、サイズ調整できるサポーターの様になっており、その医院で買い求めることが出来た。 医院で身体に合う様に調整してもらい、その日から暫らく日常装着することになった。 母親は再発をとても気にし、私の状態を毎日確認した。 ある程度、恥毛も生え始めたおちんちんを平気で触り、状態を確かめた。

 そして暫らくの間は、排便時に気張らない様に浣腸することになった。 母親は、私にガラス浣腸器で浣腸してくれた。 そんな時、おちんちんは気をつけていたが、勃起することもあった。 「だめよ。」と言って、おちんちんを指ではじいた。 内心は母に射精させられたい気持ちがあった。

母親の手で射精

 小学校高学年や中学生になると、母親と言えど浣腸されることは普通珍しいと思う。 私の場合、世間とは違っていたのかも知れないが、浣腸されることに抵抗はなかった。 ある日、風邪の所為か少し熱っぽかったため、学校を休んだ。 医者に行くほどでもなかったのか家で寝ていることになった。 母親が体温計を持って来て熱を測った。 少し熱があったようだ。 「浣腸したら熱が下がるからね。」と云うことで浣腸することになった。

 私自身には、特に抵抗はなかったので、言われるままにことは運んだ。 暫くして、ガラス容器の液体とガラス浣腸器が出現した。 布団の裾が捲くられ、パジャマのズホンとパンツが脱がされた。 自分には見えないが、凄いスタイルだっただろう。 おちんちんの廻りに僅かに産毛も出てきていた。

 いつもの様に浣腸器がお尻の穴に差し込まれ、生温かいものが入ってきた。 この感触は結構好きになっていたのだと思う。 この時も前回の様に前がピクッと反応した。 浣腸の刺激よりも前の反応が気になった。 母親は今度は何も言わずにおちんちんに触れた。 気持ち良くなっているのが自分で判る。 浣腸器を抜き去った後、おちんちんを触っているのが判った。 多分、おちんちんがそれなりに勃起している様に感じた。 触りながらの「気持ち良いんでしょ。」と言う声を目を閉じて聞いていた。 何も言わなかった、言えなかった。 暫くの間触ってくれた。 凄く気持ち良かった。 母親が「出しちゃおうね」と言った。 されるままでいると限界が来て、射精してしまった。 おちんちんが脈打つ感じだった。 と同時にお尻の方も漏れた。

 「いいのよ。」と言って始末してくれた。 その頃、後ろの方は限界に来ていた。 母親は察していたのか、差し込み便器が入れてあり、寝たまま排泄させてくれた。 射精してしまったこともあり、排便の恥ずかしさもなかった。

 「もやもやしたら、隠れてせずに、自分で気持ち良くなっても良いのよ。浣腸しなくても気持ちよくなるからね。」と全てを心得ている様に言って聞かされた。 母親は、私が浣腸で興奮することを知っていたのだろう。 それと脱腸とその長い治療で性機能に影響がなかったことを確認できたことが大きな喜びだったと思う。 浣腸オナニーに目覚めた瞬間だった・・・浣腸オナニーを教えられた瞬間だった。

 全ての始末を終えた母親が寝床に来て、添い寝をしながら、「これから、浣腸は自分でする?」と聞かれた。 何故か、「ううん、して欲しい。」と甘えて、母親の胸に顔を埋めていた。

母親の浣腸で、おちんちんが反応

 小学校の6年や中学校になっても風邪をひいて寝込むことがあり、熱を出せば幼いころと同じ様に、肛門体温計で熱を計って貰い、解熱と排便のために浣腸もされた。 また浣腸されることを望んだ。 また排泄も、小さいころのオマルではなく、差し込み便器が使われた。 寝床の中での排便に、判らないが快感があった。

 その様な反面、自分で浣腸を挿入して遊んだり、おちんちんを弄ったりした。

 小学校6年か中学校に入った頃だったと思うが、家に誰も居ない時に自分でイチジク浣腸をしたことがある。 家の買い置きか自分で購入したかは忘れたが、浣腸を1つを取り出した。

 ズボンとパンツを脱ぎ下半身は裸。 恐るおそる浣腸をお尻の穴に差し入れた。 不思議な感触だった。 その頃も、ウンチがでない時は、母親に浣腸されていた。 母親に浣腸されるのは馴れていたので、特別な感覚はなかった。

 でもその時は違っていた。 自分で凄く興奮しているのが判った。 いつも母親にされる浣腸とは全く違う感覚だった。 お尻の穴の感触より、前の方に今まで感じたことがない様な興奮を覚えた。 いつの間にかお尻に浣腸を差し込んだまま前を触っていた。 触りながら、もう一方の手で浣腸液を少し入れた。

 浣腸液の刺激で更に気持ちは高ぶり、前の方は経験したことのない感覚になったとたん白い液が飛び出した。 初めての経験だった。 始めは何か判らなかったが、浣腸とオナニーが合体した瞬間だった。

 白濁の液が畳に飛び散った・・・慌てて始末をし、残った浣腸液を注入し、トイレで排泄した。 浣腸よりも飛び散ったものが衝撃的だった。

 暫く前を触っていたが、異常な感覚は再来しなかった。 誰かが戻ってくる前に、使った浣腸を判らない様に捨てた。

 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

 それから暫くして、母親に「どう? ちゃんとウンチ出てる?」と聞かれた。 丁度試験の時期で、勉強の所為かどうかは判らないが便秘気味だったと思う。 母親がお腹を押さえて「出てないでしょ!」と言われた。 ウンチが出ていないということより、何故か浣腸をされたいという気がした。

 「ちょっと横になってなさい。」と言われ、畳の上に横になっていると、暫くしてガラス容器の液体とガラス浣腸器を持ってきた。 幼い頃からと同じ様に下半身裸にされ、両足を上げてお尻の穴を曝け出していた。 やがてお尻の穴に挿入され生温かい液体が入ってきた。 その時、浣腸されていることで、おちんちんが反応した。

 母親は、「あら!」と言って浣腸器を抜き去ると同時におちんちんに触れてきた。 母親は、浣腸するタイミングでいつも脱腸の再発を気にしていた。 それもあって、ピクリとしたおちんちんを触って、脱腸が再発していないかを確認した。

 そして、「大人になってきたのかな?」と言いながら、おちんちんを暫らく触っていた。 しかし、おちんちんは大人の様に勃起する訳ではなかった。 先日の経験が甦った。 あの時と同じ感覚になった。 その時も勃起せず白い液がでた。

 母親は、手を離し、それ以上何もせずに、浣腸器を持って洗いに行ってしまった。

おちんちんから、白濁の液が

 小学校の6年や中学校になっても風邪をひいて寝込むことがあり、熱を出せば幼いころと同じ様に、肛門体温計で熱を計って貰い、解熱と排便のために浣腸もされた。 また浣腸されることを望んだ。 また排泄も、小さいころのオマルではなく、差し込み便器が使われた。 寝床の中での排便に、判らないが快感があった。

 その様な反面、自分で浣腸を挿入して遊んだり、おちんちんを弄ったりした。

 小学校6年か中学校に入った頃だったと思うが、家に誰も居ない時に自分でイチジク浣腸をしたことがある。 家の買い置きか自分で購入したかは忘れたが、浣腸を1つを取り出した。

 ズボンとパンツを脱ぎ下半身は裸。 恐るおそる浣腸をお尻の穴に差し入れた。 不思議な感触だった。 その頃も、ウンチがでない時は、母親に浣腸されていた。 母親に浣腸されるのは馴れていたので、特別な感覚はなかった。

 でもその時は違っていた。 自分で凄く興奮しているのが判った。 いつも母親にされる浣腸とは全く違う感覚だった。 お尻の穴の感触より、前の方に今まで感じたことがない様な興奮を覚えた。 いつの間にかお尻に浣腸を差し込んだまま前を触っていた。 触りながら、もう一方の手で浣腸液を少し入れた。

 浣腸液の刺激で更に気持ちは高ぶり、前の方は経験したことのない感覚になったとたん白い液が飛び出した。 初めての経験だった。 始めは何か判らなかったが、浣腸とオナニーが合体した瞬間だった。

 白濁の液が畳に飛び散った・・・慌てて始末をし、残った浣腸液を注入し、トイレで排泄した。 浣腸よりも飛び散ったものが衝撃的だった。

 暫く前を触っていたが、異常な感覚は再来しなかった。 誰かが戻ってくる前に、使った浣腸を判らない様に捨てた。

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 それから暫くして、母親に「どう? ちゃんとウンチ出てる?」と聞かれた。 丁度試験の時期で、勉強の所為かどうかは判らないが便秘気味だったと思う。 母親がお腹を押さえて「出てないでしょ!」と言われた。 ウンチが出ていないということより、何故か浣腸をされたいという気がした。

 「ちょっと横になってなさい。」と言われ、畳の上に横になっていると、暫くしてガラス容器の液体とガラス浣腸器を持ってきた。 幼い頃からと同じ様に下半身裸にされ、両足を上げてお尻の穴を曝け出していた。 やがてお尻の穴に挿入され生温かい液体が入ってきた。 その時、浣腸されていることで、おちんちんが反応した。

 母親は、「あら!」と言って浣腸器を抜き去ると同時におちんちんに触れてきた。 母親は、浣腸するタイミングでいつも脱腸の再発を気にしていた。 それもあって、ピクリとしたおちんちんを触って、脱腸が再発していないかを確認した。

 そして、「大人になってきたのかな?」と言いながら、おちんちんを暫らく触っていた。 しかし、おちんちんは大人の様に勃起する訳ではなかった。 先日の経験が甦った。 あの時と同じ感覚になった。 その時も勃起せず白い液がでた。

 母親は、手を離し、それ以上何もせずに、浣腸器を持って洗いに行ってしまった。

脱腸帯と浣腸の小学校生活

 従妹の浣腸を見たことや、小学校の女友達に好奇心で浣腸したこと、それに、従妹や女友達の性器に触れたことは私に取って、母親に「される浣腸」から、「する浣腸」に気持ちの変化があった。

 また、女の子の性器を触った感触は、自身の性器への自覚を促した。 とは言え、自分のおちんちんが勃起することはないが、自分のおちんちんを弄る様になった。

 あるとき、自分に使われたイチジク浣腸をゴミ箱から拾い出し、十分洗って隠し持った。 寝る時、隠し持った使用済みイチジク浣腸に水を入れ、寝床の中でお尻の穴に差し込むことを楽しんだ。 お尻の穴に挿入したイチジク浣腸を脱腸帯の股下ベルトで固定し、お尻に浣腸を挿入したまま、おちんちんを弄くることもあった。

 性器と自分自身に対する浣腸を同時に意識し、行為をし始めた時期だった。 私の様に脱腸によるコンプレックスを抱くことなく性器に興味を持った人はどんな風に、自分の性器を認識したのかは判らないが、脱腸帯を着けた私の場合、下半身に対する意識は他の人とは異なっていたのかも知れない。

 また家庭医学書などの、浣腸の仕方、排便のさせ方、尿の摂り方、女性性器の洗浄、男性性器の洗浄などの項目を読んで異常な興味を持った。 しかし、自らのおちんちんが勃起する様なことはなく、寝床にはいると手がおちんちんを触っている状態だった。


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 小学校の間、脱腸帯や浣腸から開放されることはなかった。 6年生ぐらいになると、脱腸帯は昼間だけになり、寝る時には着けていなかった。 身体を横にしている時は脱腸になりにくいからだ。 脱腸帯から開放されても、何故か寝る時は下着はつけない習慣になり、寝床の中では、手がおちんちんを触っていることも多かった。

 小学校6年になると、母親のお使いの様な振りをして、浣腸を買い求めたこともあり、買った浣腸を自分でして楽しんだ。 完全に浣腸から離れられない嗜好に陥っていたのではないかと、今思う。

 お尻の穴に快感を感じることは、既に無意識に認識していた。 一番好きだったのは、浣腸することよりも、入浴後、寝る時にお尻の穴にメンソレータムを塗り、その刺激を楽しむことだった。 脱腸帯や浣腸によるコンプレックスは、自らのお尻の穴を触ったり、おちんちんを触ることへ発展した。

 そんなことをしていても、虚弱な体質で、風邪をひいて熱を出すことが多かった。

従妹と

 小学校の女友達と浣腸し合い、お互いの性器に触れたのと、どちらが先か忘れたが、性的行為に近いことがあった。

 夏休みのある日、叔母と従姉妹が泊まり掛けで遊びに来た。 昼間は遊園地や外での飲食など楽しい時間を過ごし、夕食も終わって団欒の時、従妹が不調を訴えた。

 叔母は従妹の熱を見、「熱はない様だね。どこか痛いの?」と聞くと、従妹は「お腹が。。。」と言いだした。 叔母と母親は、従妹のお腹を抑える様にして、様子を確認していた。 母親が下腹部を押さえて、「ウンチが溜まっているんじゃないかしら?」と言うと、叔母は、「○○ちゃん、そう言えば一昨日からウンチ出てないんじゃない?」と言った。

 母親が、「うちの子は、よく便秘するから浣腸はあるわよ。○○ちゃんもするかな?」と言った。 叔母は、「酷くなったら困るから、浣腸しようか。」ということになった。 叔母が、「○○ちゃん、浣腸しようね。お腹痛いの治るから。。。」と言うと、従妹は、以外に「うん」と言った。

 母親が、ガラス浣腸器とグリセリン液を用意してきた。 叔母は、私が居ることを気にせず、○○ちゃんのスカートをバンツを脱がせ、○○ちゃんは下半身裸となった。 オムツ交換の様に寝かされ、叔母が足を持って、母親がガラス浣腸器で浣腸した。 紙でお尻を押さえ我慢させられていたが、「もうダメ」と言う声でトイレに行った。 暫らくして従妹は恥ずかしそうな顔をして叔母と戻ってきた。

 母親が、「△△ちゃん(私)も今日ウンチでてないね。浣腸しておこうね。」ということになった。 叔母と従妹が居る前であったが、叔母も従姉妹も私が脱腸帯を着けているのは知っていた。 私も下半身裸にされ、脱腸帯をつけたまま、ガラス浣腸器で浣腸された。 排泄は私はオマルだった。

 互いに浣腸された夜、私と従妹は同じ部屋で布団を並べて寝た。 

 私は、女の子が浣腸されるのを見てしまったことが頭に残っていた。 隣の布団に向って、「○○ちゃん、初めて浣腸したの?」と聞くと、「ううん、時々もっと小さい浣腸されるよ。」、「イチジク浣腸?」、「そう」という会話になった。
「△△君は、いつもオマルでするの?」ということで、「僕も良く浣腸されるし、オマルだよ。」と変な会話の弾み方となった。 「○○ちゃんは、浣腸イヤなの?」と聞くと、「イヤじゃないよ」と言っていた。

 そして、従妹は「△△君のおちんちん見ちゃった」と言いだした。 「初めて?」と聞くと、「うん」と言った。 私は、女の子の浣腸が印象的だったのに対し、従妹は男の子のおちんちんが印象的だったらしい。 お互いに親の認識とは別に性の違いに興味を持った瞬間だったかも知れない。

 そんな会話をしているうちに、従姉妹が突然、「おちんちん、もう一度みたい」と言った。 でも部屋は照明が消され暗がりだった。 私は、「○○ちゃん、こっちにおいで」というと従妹は自分の寝床から、私の布団に潜り込んできた。

 「見たい?」と言うと「うん」と言うので、従妹の手を私のパジャマに導いた。 「△△君、パンツはいてないの?」「だって脱腸帯してるから」と言いながら、従妹は、暫らくパジャマの中を弄っていた。 そしておちんちんを触りながら、「ここからオシッコでるの?」と聞く。 「そうだよ」と教えてあげる。 今度は私の手を導いた。 幼いとは言え、異性の性器に触れた瞬間だった。 「私はここからオシッコでるんだよ」と教えてくれた。 互いにセックスの感覚はないものの、異性の性器を確認した。 暫らくの間、お互いの性器をおもちゃの様に触りあったが、物音に従妹は慌てて自分の寝床に戻った。 そして小声でお互いの性器のことや浣腸のことを喋った。

 小学校の女友達の性器とどちらが先か定かではないが、同じ頃に2人の女の子の性器に触れた。 しかし、性的認識はなく、自分と異なるものへの好奇心だけだった。

同級の女の子との秘話

 日頃から、度々脱腸や浣腸のことを話しする女の子がいた。 ある日、下校時私に近付いて来た。 「ねぇ、まだ脱腸は治ってないの?」「最近浣腸された?」など、人目を憚る会話をして来た。 以前、その子はお母さんに、「脱腸になるから」と浣腸されたと言っていた。 そんなことでその子も浣腸されているという親近感があり、また、親も親しく、私自身も好意を持っていた。

 歩きながら、「よく浣腸されるの?」と聞くと、「ときどき」と言う。 「ウンチでないの?」というと、出ない時があって、機嫌が悪くなるらしい。 「イチジク浣腸?」と聞くので、ガラス浣腸器だと答えると、一度見てみたいと言い、浣腸に強い興味を持っていた。 互いの家も遠くなく、彼女は自分の家に誘った。 何度か訪問したこともあり、何の不思議も感じずについて行った。

 彼女の家に入ると、実は誰も居ず、お母さんはというと、今日は外出していて夕方まで帰らないと言っていた。 別に何も考えて居なかったので、そのまま家に上がり込んだ。 私がソファに座っていると、突然彼女が、「お願いがあるの」と言う。 何かと思ったら、「脱腸帯見せて!」という。 「え~っ!」という状態だが、以前にも学校で少し見せたこともあり、抵抗はなかった。

 ズボンとパンツを少し下げて、彼女に見せた。 「良く見えないよ」というので、もう少しズボンを下げると、脱腸帯に触ってきて、全部見せてということでズボンとパンツを膝まで下げた。 男の子のことを知らないらしく、脱腸帯だけでなく、おちんちんも触ってきた。 「ここからオシッコでるの?」と聞いてきた。 「そうだよ」ということで脱腸帯とおちんちんの検査は終了した。

 暫らくして、浣腸したいと言い出した。 「私にもさせてあげるから、私もしていい?」ということで、私も好奇心があったので了承した。 彼女は奥の部屋からイチジク浣腸を出してきた。 20ccの子供用だった。 「浣腸してあげるから、お尻だして」ということになり、四つん這いされられ彼女がズボンを下ろした。 私の場合、脱腸帯のベルトがお尻を塞いでいるので、脱腸帯の股下ベルトを外した。 そして彼女は自分がされている様にクリームを塗り、イチジク浣腸を私のお尻の穴に挿入し、薬液を入れた。 暫らくして便意が始まり、彼女の案内でトイレで排便した。 脱腸のことは気になったが、脱腸帯をつけていたので、大丈夫だった。

 私がトイレから戻ると彼女は神妙な感じでソファに居た。 「私にも浣腸したい?」いうので「約束だよ」と言うと彼女も覚悟して四つん這いになった。 彼女のパンツを下ろし同じ様にクリームを塗って浣腸を挿入した。 薬液を入れる間、緊張した状態が続き、浣腸器を抜いて彼女もトイレに行った。

 彼女の見てはいけない部分を見たことで、心臓はドキドキしたままで、彼女もそうだった。 トイレから戻った彼女は、もう一度見たいというので、ズボンとパンツを下げ、おちんちんとタマタマを触らせてあげた。 そして彼女もパンツを下ろし、オシッコの出るところを手で触らせてくれた。 そして互いに恥ずかしい感覚のまま、絶対に秘密にすることを約束して家を出た。 そして、その日から、母親にされる浣腸以外の浣腸に興味が湧き始め、日常的であった浣腸が、私の頭の中で特別なものになったと思う。 女の子への興味もさることながら、浣腸そのものへの執着が始まったと思う。

検診の日

 脱腸検診の日

  ・・・・ 脱腸でお世話になった医院は、何科かは判らないが、女医さんだった。

 定期的な検診があった。 脱腸を発症しているのは、おちんちんの右側に腸が迫り出す症状だった。 下半身に力を入れすぎたり、ウンチを出そうと気張ると発症する可能性がある。

 検診の日は、自宅で脱腸を発症していないか、ウンチは出ているか、浣腸せずにウンチをしたことがあるか、浣腸すれば良好なウンチがでるか、などが確認された。 診察室で聴診器などの検診もある。 そのために上半身は裸になる。 次に診察台に寝かされ、看護婦さんが下半身を脱がせてくれた。 結果、何も着ていないが、脱腸帯だけを着けている恥ずかしい姿となる。 先生がお腹の状態を触診する。 脱腸帯をつけたまま状態を確認し、次に脱腸帯を取る。 そして脱腸を起している部分を丁寧に診察する。 

 そして次に、そのままオマルを跨ぎ、本気でウンチをする様に気張る。 それにより脱腸が発生するかどうかだ。 オマルを跨ぎ、日頃は控えている「気張る」ということをするのは、少し怖い。 その時、脱腸になる部分を先生が手を当てて確認する。 ウンチを気張っている状態でおちんちんの横を手で触られる状態だ。

 始めのうちは、それで腸が迫り出すこともあったが、ある期間を過ぎると、脱腸症状が少なくなってきていた。 「だいぶ良くなってるけど、まだ脱腸帯は外せないね」というのが普通だった。 その気張ってみるために、検診の日やその先日に浣腸することはなかった。 診察のためにウンチを気張ると場合によっては、ウンチが出ることもある。 ウンチが出ても、私の場合コロコロした便秘のウンチだ。

 出ても出なくても、その日は検診の後、浣腸される。 ガラス浣腸器で多量の薬液を注入され、オマルで排便となり、出た便をチェックされ、診察は終わる。 再び脱腸帯を着け、自宅に戻る。 その日の診察では、脱腸帯が少し身体に合わなくなっているとのこともあり、後日、新しい脱腸帯を作って貰うことになった。

検便

 検便・・・自分の便の一部を学校へ提出し、検査機関で腸内のぎょう虫、サナダ虫の検査をして貰う定期的な行事があった。 自分の排便の少量の欠片を燐寸箱の様な小さい箱に入れ、匂わない様に封をし、提出する。

 その日は、検便の提出日だった。 大抵の子は、前日の晩なり、当日の朝に新聞紙などに排便し、親が燐寸箱に用意していた。 定例なことであり日常的に普通のことだった。 朝授業が始まると机の上に全員が小さい箱を出し、当番が回収した。 私の席の後方で女の子が話している。 「私ね。出なくて浣腸されちゃった。」・・・確かにそう聞こえた。

 実は私もそうだった。 私の場合、浣腸されてオマルにウンチを出し、母親がオマルの中からその一部を箱に移した。 浣腸した場合、新聞紙に排便とはいかない。 薬液が出るからだ。 その女の子はどうして排便したのだろうと勝手な想像をし、一人で顔を赤くしている私だった。

 検便も結構大変なもので、女の子は上手く出ずに持ってこない子、浣腸して目的を果たす子、下痢で持ってこない子・・・色々だった。 先生は、明日忘れたら、医務室で浣腸して貰いますと教室で平気で言った。 本当に医務室で検便のために浣腸された子がいるのかは判らない。

同級の女の子との会話

 私が脱腸治療のために脱腸帯を着けていることは、同じクラスの人間のうち何人かは知っていた。 通常ではない状態についての噂は早く広まる。 しかし病気治療や障害的なニュアンスがあったので、それが原因でイジメに会う様なことはなく、担任の先生はイジメの様な行為には厳しかった。 お陰で、日々楽しい学校生活を送ることが出来、クラスメイトの中には、小児麻痺で障害を負った生徒や私に対する気遣いがあった。 その反面、私の状態について興味を持つ子も多かった。

 その様なことで、男女問わず「脱腸ってどうなるの?」とか「どんな器具つけてるの?」とか聞かれ、「見せて~!」と言う子も居た。 私なりに判っていることを説明したし、また見せてあげたこともあった。 特に見せてという中に女の子も多かった。 まだ性的な意識はなかったので、「おちんちん、痛そう!」などの感想の言葉を貰ったこともあった。

 良く話しをする女の子が居た。 家も近く、お互いの家に行き来もあり、お母さんも良く知っていた。

 その女の子が突然、「○○君って浣腸するの?」と聞いてきた。 「なんで?」と返したが、「お母さんが、ウンチでないと脱腸になるって!・・・だから浣腸されたの。」と言う。 返事に困ったが、「ウンチ出ない時は浣腸するよ」と答えたと思う。 彼女は「へ~」とそれ以上云わなかった。 この子も浣腸されてるんだと思ったのと、女の子に脱腸ってあるのかが判らなかった。

 その女の子が、脱腸や浣腸のことを言うのは、母親同士の会話にも原因があったのだろうと思う。 家に帰って、私も母親に変な質問をした。 「女の子も脱腸になるの?」・・・「男の子や女の子ということに関係ないでしょ」ということだった。

 浣腸のことを話しかけてきた女の子とは、その後も何度か同じ話題で会話したし、私の脱腸帯を見せて上げた記憶がある。


風邪で寝込む

 風邪をひいて高熱を出した。 朝から気分が悪く、学校を休んだ。 昼前になって母親が熱を計ると37.8度あった。 母親が床を敷いてくれ、寝る様に言われた。 朝は学校へ行く予定であったので普通に服を着ていたが、寝るために着替えさせられた。 その頃はまだ、脱腸帯を着けていた。 脱腸帯を着ける様になってからは、パジャマの下にパンツは履かない様になった。 裸になると脱腸帯だけをつけている姿になる。 その上にパジャマを着て寝床に入った。 身体がゾクゾクするので布団を被っていた。 ウトウトしていたが、母親が再び体温計を持って現れた。 熱がある時に脇に冷たい体温計を挟まれるのが嫌いだった。 嫌がると母親は別の体温計を取りに行った。 以前から脇の体温計を嫌っていた。 布団の裾を捲くるとパジャマを下ろした。 脱腸帯のベルトを横にずらせお尻の穴にワセリンを塗り、肛門体温計を挿入した。 変な話だが、脇の体温計よりお尻に肛門体温計を入れられる方が好きだった。 熱は下がるどころか上っていた。

 母親は「浣腸しようね。」と言って準備を始めた。 布団の裾が捲くられ、パジャマが脱がされた。 そして脱腸帯も外された。 お尻の下にビニールシートが敷かれ、更に布が敷かれた。 そして膝を抱える様に言われ、ガラス浣腸器がお尻の穴に差し込まれた。 そして多量の浣腸液が注入された。 浣腸器を抜くと膝を立てた状態で、布とその上にビニールシートで股間が覆われ、布団がかけられた。 「そのまましていいよ」ということでだった。 暫らくして「でちゃうよ」と叫ぶと、「気張ったらだめよ」の声で漏れるに任せた。 浣腸液に混じって固形物が出た。 オシッコも出た。
出終わったら、蒸しタオルで綺麗に拭われた。 同時に脱腸の様子を確認した。 オムツ排泄である。 再び脱腸帯がつけられ、パジャマが履かされた。

小学校に入学して

 幼稚園を卒園しても、脱腸帯を卒業することはなかった。 母親は幼稚園の生活と小学校の生活が大きく異なることは判っていた。 また、体操の授業など服を着替えることも多くなる。 排便だけでなく、私に係わる日常的な不自由さや不安は多くあった。 小学校の入学に際し、母親は私を連れて事前に学校へ相談に向った。

 教頭の先生や担任に予定されている先生に説明と相談を持ちかけた。 母親が相談している横に私も居た。 その内容は、一部想像もあるが、
  ・脱腸を発症し、現在脱腸帯を装着して治療中であること
  ・あと1~2年は脱腸帯を装着している必要があること
  ・元々便秘症で、脱腸治療もあり、便秘にならない様に浣腸していること
  ・排便するときに、強く気張ることは好ましくないこと
  ・体操などで激しい運動は暫らくは難しいこと
  ・脱腸帯の装着が普段でも判ること、 体操の授業時の着替えのこと
などの相談だったと思う。 医務室の先生も呼ばれ、具体的診断を受けた。 入学前に脱腸帯をつけた恥ずかしい部分を披露し、診察を受けた。 相談の話し合いの結果、日常の学級での生活はクラスメイトとの関係は担任の先生がフォローし問題はないはずとの説明があり、また、他にも軽度の障害者もクラスに居るので、私だけが変な目で見られることはない。 ただ、学校でトイレでウンチをする子も多いが、学校でトイレに行きたくなったら担任の先生に言うことになった。

 担任の先生が教職員トイレでさせ、ウンチが出にくい時は、医務室に浣腸の準備があるので心配する必要はないと判った。

 小学校が始まり、同じクラスの子とも話す様になった。 事前に聞いていた様にクラスに障害者がいた。 障害者と言っても、当時「小児麻痺」と言う障害があり、その子はその小児麻痺だった。 歩くのも不自由があり、車椅子や廻りの介助を必要とした。 先生は、私にその子のことを話した。 「かれはオシッコをするのも自分で出来ないから助けてあげてね。貴方なら色々判って上げられるから。」と言った。 私は親近感を感じ、トイレに連れて行くことも何度もあった。

 その子がオシッコしたいと言うと、トイレまで連れて行き、ズボンを下ろしておちんちんを出してあげたこともあった。 その子に、ウンチはどうしているのかと聞いたことがあった。 洋式トイレがない時代、和式トイレでするのは難しく、家ではオマルだと言っていた。 浣腸なども聞いた。 彼もまた私と同じ様に浣腸されることが多いらしい。

 ある時、その子が授業中に腹痛を起こし、先生と共に医務室に行った。 医務室の先生は、その子の様子を見て浣腸し抱っこしてトイレに連れて行ったことがあった。 そして私に「貴方は大丈夫かな?」と聞かれた。

卒園も間近

 母親も幼稚園の先生も、毎日私の状態を気にしてくれた。 母親は、日々の浣腸と入浴時の脱腸の状態確認が日課になり、私自身も当たり前のこととなっていた。 浣腸ははじめは毎日だったが、気張らずにウンチが出ることに努力してくれた。 幼稚園への通園に問題がなくなると、浣腸して便を強制的に出すのではなく、脱腸帯をつけた状態で少し気張る程度でウンチが出ることを期待し、まずウンチをしてみる様になった。 時々はそれでウンチは出た。 少しでもウンチが出た時は浣腸を控えた。

 そんなこともあり、幼稚園で何かを食べた後には、ウンチをしたい感覚になることもあり、そんな時には大好きな先生に「ウンチしたい」と言った。 先生は「浣腸しようね。」と言って、先生用のトイレに連れて行かれ、脱腸帯のお尻の穴を塞いでいるベルトを外され、先生の膝にうつ伏せになって浣腸して貰い、力を入れずにウンチが出る様にされた。

 春になり、幼稚園生活も終わる時が近づいた。 「先生が浣腸してあげるのも、あと少しだね。」と寂しそうに浣腸してくれたのが最後だった。 私自身も卒園したくなかった。

久しぶりの幼稚園への登園

 脱腸を発症した以降、母親から受ける浣腸が変わった。 医者の指導があったのだと思うが、今までよりも大きなガラス浣腸器が使われ、イチジク浣腸はなくなった。

 それまでは、浣腸しても便が固いと出すのに気張ることもあったが、薬液の量が多くなったためか、ウンチが薬液と一緒に流れ出る感じになり、お尻の力を緩めるだけで排泄した。 また浣腸して我慢する時間も長くなり、オマルに跨ったと同時に一気に排便した。

 その様な状況でも日常を取り戻し、休んでいた幼稚園への通園も再開することとなった。 事前に医者で通園の可否を確認して貰うための診察を受けた。 再発していないことが確認されたが、最初のときと同じ「高圧浣腸」の治療を受けた。

 翌日、母親に連れられ久し振りに登園した。 母親は先生に状況を説明し、他の園児が居ない部屋で私のズボンを下ろし、状態を説明した。 そして母親は、家で毎日浣腸しているのでウンチをする必要はないはずだが、私がウンチをしたいと言い出した時には浣腸してもらう様に、イチジク浣腸を先生に預けた。

 そんなことで、私の幼稚園生活は再開した。 その頃は、今で云う年長組だった。 来年は小学校進学の予定である。 先生は私のことを気に掛けてくれ、前に浣腸をしてくれた先生は、「ウンチしたくなったら、ちゃんと言うのよ。浣腸して上げるからね。前にもしたから大丈夫よね。」と言った。 その先生には、なにも恥ずかしくなかった。


脱腸の治療(2)

 脱腸を発症した原因は定かではない。 便秘で排便時に気張ることが脱腸の原因なのか、その様な状態だったから便秘になっていたのかは私は知らない。 しかし無関係だったとは思えない。 それからはトイレで気張ることは禁止された。 即ち、浣腸による排便が日課になった。 多分2週間ほどは幼稚園を休んだと思う。 その間は自宅に居て毎日浣腸となった。

 サポータの様なものは四六時中身に着けていた。 それを外すのは風呂に入るときと、浣腸して排便するときだけだった。 そんな状態が1週間ほど続いたある日、また連れられ採寸した場所に行った。 また下半身裸になり、変な器具が装着された。

 それが「脱腸帯」というものであった。 貞操帯の様に金属の芯が入った固いベルト状のものがあり、丁度おちんちんの右側に当る様にゴム球がついている。 そして、その貞操帯からゴムベルトが2本垂れている。 固いベルトを腰に巻き、ゴム球をおちんちんの右側に当てる。 丁度脱腸を発症している位置だ。 そしてその貞操帯がずれない様に、垂れたベルトを後ろからお尻の割れ目に沿っておちんちんの左右に持って来て、貞操帯と固定する。 これで普通に身体を動かしても、貞操帯がずれない様になっていた。 試着し体形にあうことが確認された。

 予定通りのものが出来上がったので、医者でつけられてたサポータの様なものは取り、その貞操帯(脱腸帯)を着け、交換用の同じ貞操帯も貰って家に帰った。 歩いていても貞操帯(脱腸帯)に違和感があり、蟹股歩きになっていたと思う。

 サポータはなくなったが、その代わりに脱腸帯をつけていることが日常になった。 サポーターと同じ様に、お風呂に入る時と浣腸してウンチをする時以外身につけていた。


脱腸の治療(1)

 明くる日、早速医者に連れて行かれた。 どの様な医者に行ったのかは私にはわからないが、そこでの治療は比較的記憶に残っている。 診察や治療は、それまでに経験したことがないものだった。

 昨日の状態は、また発生していた。 私の場合、おちんちんの右横の部分に内臓の腸の一部が迫り出している感じになっており、自分でも判った。 ただ母親の発見が早かったことが幸いし、手術ではなく治療が可能だと判った。 多分親はその診断でほっとしたと思う。

 診察室で下半身裸になり、医師の診察を受けた。 脱腸を発症している部分の触診で概ねの判断があったのだろう。 早速の治療となり、診察台に寝かされた。 今になって思えば、産婦人科の診察台の様に、両足が固定され恥ずかしい部分を丸出しになった。 母親に浣腸されるのとは違い、気持ちの上では凄く恥ずかしく不安な状態だった。

 暫らくして診察と治療が始まった。 脱腸部分は丁寧に押し戻され、正常な状態になった。 それからは、以前に医者で排便治療された時とはじめのうちは似ていた。 お尻の穴に器具が挿入され、その内浣腸され、診察台に寝たまま排便した。 お尻の穴に冷たいものが塗られた。 そしてお尻にタンクから伸びた管が挿入され、「我慢するのよ」と看護婦さんに言われながら治療を受けた。 高圧浣腸、即ち「イルリガードル」による浣腸だった。 日頃の浣腸と比べ物にならない量の薬液がお尻の穴から注入され、非常に苦しくなった。 管が抜かれると一挙にそのまま排泄した。 2度ほどの高圧浣腸の後、お尻の穴に薬品が塗られた。 そしてお尻の穴からおちんちんなどが消毒液で洗浄され、おちんちんは出した形でサポーターの様な形で固定された。 その姿は、おちんちんを隠さないTバッグのパンツを履いた状態で、オシッコは出来るが、ウンチは出来ない状態になった。

 その日の治療は、それで終了し、母に連れられ自宅に戻った。 激しい運動、特に下半身に力をいれることは禁止されていたので、自宅で大人しくしていた。 次の日、また連れられて別のところへ行った。 医者ではなかったが、下半身裸にされ、腰の部分や股間の部分のサイズが測られた。 下着のパンツを特注する様な感じだった。

 後で判ったが、寸法を測った作成されたものは、「脱腸帯」と言われる、貞操帯の様な器具(補助具)であった。


2014年4月2日水曜日

脱腸(腸ヘルニア)を発症

 いつもの様に、ウンチが出ないと浣腸という状況に変化はなかった。 その日も、浣腸するために下半身は裸でねかされた。 浣腸となる筈のところ、私のおちんちんやタマタマを触ったり持ち上げたりしていた。 やがて、浣腸せずに父親を呼びにいった。

 母と父は、私のおちんちんやタマタマを見て、医者に行く相談をしていた。 後でわかったが、それは「脱腸(ヘルニア)」を発症した瞬間だった。 私自身は、違和感はあったものの、これと言った自覚症状はなかった。

 「脱腸」というのは、最近は余り聞かないが、内臓の腸の一部が、骨の間から下に下がり、おちんちんやタマタマの辺りに迫り出してしまう症状で、その部分が膨れた様になる。 母親が発見したときは重症には至っていなかった様で、父親の指示で出ている部分を押し戻すと症状は回復した。 しかし、再発は明らかで放置できない。

 その日の浣腸は中止され、脱腸になった部分を中に納めることで、翌日医者に行くことになった。 そして、ウンチは出さないまま寝床についた。 何となく自分でも判ったので、その部分が気になった。

 寝るときもパンツはつけず、パジャマのズボンだけで寝た。 寝てからも気になる母親は布団を捲くり、パジャマを下ろしてその部分を確認していた。 私自身、何が起こっているのかは全く理解できていなかった。

 明くる日から、脱腸の治療が始まった。

幼稚園で

 幼稚園に通う様になっても、私の体質は変わってはいなかった。 表で身体を動かす機会が増えたこともあったのか、浣腸する回数はある程度減ったと思う。 しかし、そのことは、幼稚園の先生にも母親がお願いしていたらしい。

 時々、幼稚園の先生にも、今日はウンチしてきたのと聞かれるぐらい気に掛けられていた。 ある日、幼稚園で浣腸されたことは以前に書いたが、母親から聞いていたのでその様な結果になったと思う。

 幼稚園の先生は、調子が悪そうな私を見て、寝かせてくれたが、ある程度原因を察知した。 熱がないことが判ると、お腹の様子を確認し、浣腸してくれた。 浣腸する前に、お尻の穴に指を入れ状態を確認するなど、私の便秘が判っていたからだと思う。

 浣腸してくれた先生には、何となく甘えてしまう様になり、先生も私を可愛がってくれ、いつもお腹の調子を気にしてくれていた。 そんな先生が、母親同様好きだった。

ある時、病院で

 朝起きたら、トイレでウンチをしてみる。 朝出なければ、夕食後入浴前がトイレタイムとなり、朝も夜も出ないとその日は何もなく、翌日朝も夜も出ないと確実に浣腸であった。 即ち2日続けて出ないと浣腸されたと記憶している。

 そんな日々の繰り返しであったが、幼稚園に入園してからだったと記憶しているが、医者に連れて行かれたことが記憶にある。 思いだせる範囲のことしか書けないが、多分浣腸しても出なかったのではないかと思う。

 私は注射が嫌いで、医者というものが好きではなかった。 医者に入ると判る一種独特の消毒液の臭いに何故か恐怖心があった。 恐怖心に駆られながら診察室に母親と入る。 私は診察台に寝かされる。 看護婦さんに下半身を脱がされ、全てを曝け出している。 看護婦さんが両足を持ち上げ、医師が私のお尻に何かをしている。 何かが差し込まれたがいつもの母親の浣腸とは異なる。 そして中でその器具が動かされ、そして抜かれた。 次にカチャカチャという音がして、またお尻の穴に何かが差し込まれた。 そして液が注入された。 いつもとは違う感じだが、浣腸だ。 ウンチがしたくなる。 看護婦さんは私のお腹をマッサージしている。 マッサージをする手が医師に変わり、医師は少し力を入れてお腹を押さえた。 と同時にお尻の穴は決壊し、そのまま溜まっていたものを吐き出した。

 後始末がされ、もう一度浣腸され、同じ様に排泄した。 今になって思えば、差し込み便器に排泄した様に思える。

 その後は、また今まで通りの母親の抱かかえのウンチや浣腸してのオマルという日常に戻った。

 母親のウンチ管理も浣腸されることも、決していやではなかった。


普段の一日の終わり

 夕食も終わり、テレビもない時代は、これと言って娯楽もないし、幼い子供にとっては寝る準備の時間となる。 母親との会話は、「今日ウンチしてないよね。お風呂に入る前にウンチしてみようね。」とトイレに連れて行かれる。

 トイレは、水洗などではなく昔の汲み取り和式である。 子供がトイレに落ちることもあったらしい。 だから親に抱きかかえられて排泄することもごく普通であった。 私もそうされた。 しかし、時間が経過してもオシッコだけでウンチが出る気配がないことが多かった。 抱きかかえる方もきっと大変だったと思う。

 「でないね。浣腸しようね。」と母親が言うのも度々で、特別なことでも何でもなかった。 家にはイチジク浣腸、ガラス浣腸器、オマル、差し込み便器などは見えるところに平然と置かれていた。 ウンチが済めば、風呂に入るのが順番であるから、ウンチが出ないままトイレから出てくると、温かい時期は丸裸にされる。 母親は浣腸の準備をし、オマルと共に私の前に持ってくる。 時間のあるときはガラス浣腸器で、慌しいときはイチジク浣腸であった。

 畳の部屋に寝かされ、両足を持ち上げられて、浣腸が挿入される。 寒い時期は、浣腸液が温められていた。 暫らく我慢させられ、オマルに跨って排便する。 母親は浣腸とオマルの始末をし、裸の私を風呂場に連れて行き、自分も裸になる。 風呂の中では母親の乳房で遊んだ。 普通のことだったと思う。


幼稚園の先生

 幼稚園で浣腸をしてくれた先生は、自分の母親の様な感じだった。 バンツを下げ、お尻の穴にクスリを塗ってくれた。 クスリを塗った指が、中に入ってきた。 「やっぱり硬くなってるね。 昨日も今日も出てないでしょ。」・・・その通りだった。

 それをしながら、「先生もウンチが出ない時は浣腸するのよ。 だから良く判るの。」と言った。 それで何となく安心感があった。 大人も浣腸するんだと何となく思った。 自分の母親も浣腸するのかな。

 我慢している間に、「家でも浣腸したことあるの? 幼稚園でもしんどくなったら、先生に言うのよ。 先生が浣腸したことは誰にも言わないからね。」と話してくれた。

 浣腸をしてくれた先生には、凄く親近感を持ってしまった。

幼稚園でのある日の出来事

 幼稚園で先生に呼ばれた。 怒られる様なことをした記憶はなかった。 いきなり先生は額に手を置き、「どうしたの? しんどいの?」と聞かれた。 何のことか判らなかったが、多分つらそうな顔をしていたのだろう。

 「少し休みなさい。」と別の部屋に連れて行かれ、長椅子のソファの様なところに寝かされ、毛布が掛けられた。 暫くして、先生が様子を見に来て、「気分はどう?」と聞かれた。 「大丈夫です。」と言ったと思うが、ズボンを少し下ろしシャツをたくし上げお腹の様子を診ている。 お腹のあちこちを押さえていたが突然、「ウンチ出てないのかな?」と聞かれた。 家でよく浣腸されていることが頭をよぎり、凄く恥ずかしくなった(多分顔が赤くなっていた様な気がする)。 何と返事をしたのか覚えていないが、先生は黙って何処かへ行ってしまった。 暫くすると戻って来て、「ウンチ出したらスッキリするよ。」と言いながら手には良く知っているイチジク浣腸の箱を持っていた。 「浣腸したことある?」と言って、横を向かされた。 家での浣腸には馴れているが、幼稚園での浣腸には少しビックリし、とても恥ずかしい気持ちだった。 ズボンとパンツを下ろされ、浣腸のノズルがお尻の穴に入ってきた。 いつもの母の浣腸とは違うのに、どうして良いか判らなかった。 暫く我慢してトイレに連れて行かれ、無事終了した。 また暫く休んでいたのを覚えている。

 記憶にある中で、初めて母以外の人に浣腸された日だった。

記憶にある浣腸の始まり

 体に障害があったり、特別な病気があったわけではないが、直ぐに風邪をひく様なチョット弱い子供だった。 大人になってからは、体力もでき、普通の社会人と何ら変わらない生活ができ、結婚もし、子供もできた。

 しかし、子供の頃から今だに続く体質的な特徴がある。 それは「便秘」。
幼稚園に行くまでの記憶は余りないが、幼稚園から小学校ころの記憶は結構鮮明に覚えている。 それは、浣腸やオムツの記憶と言ってもよい。

 毎日、風呂に入って寝る前に、母親にウンチをしてみる様に言われ、トイレに連れて行かれる。 トイレでお尻を下ろし、暫く気張り少しでも出れば褒めて貰ったのを覚えている。 でも、出ない時も多く、そんな時はお尻の穴の当りに重いものを感じながら布団に入ることも多かった。
 2~3日も出ないと、「苦しいでしょ。浣腸しようね。」という結果になる。 当時は余り便秘薬と云うものも今ほど普及していなかった。
パンツを上げ、トイレを出て寝るために敷いてある布団に横になる。 暫くすると母親が浣腸を持って現れる。 浣腸は、イチジク浣腸かガラス浣腸器のどちらかだった。 時間のあるときはガラス浣腸器が使われ、気忙しい時はイチジク浣腸だったと思う。 浣腸の準備ができると、パンツも脱がされ両足を持ち上げられてお尻の穴に冷たいものを感じる。 暫くして浣腸が差し込まれ、お腹に冷たいものを感じる。 浣腸を抜いて紙でお尻の穴が押さえられながら、お腹をマッサージされた。 結構我慢してから排便はオマルだった。

 こんな感じで、子供の頃は浣腸が当たり前の様な生活をしていたと思う。 でも、毎日浣腸をされていた訳ではない。